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Channel: 山と道 U.L. HIKE&BACKPACKING BLOG
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ヒマラヤ日記 9日目

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今はビンタンという村のロッジでこれを書いています。
時間は夕方の6時30分。とうとうラルキャラパスを越えてきました。朝4時30分に出発して、到着したのは5時。ものすごく疲れました…。

 高地のハイクをなめてました。
まだ暗い中出発して直ぐに、ガイドさんが道を間違えました。トレイルとはまた違う道に入りこんでしまったようです。GPSで場所を確認していた所、何処からか掛け声が聴こえてきます。僕達が道を間違えていることを教えてくれていたのかもしれません。ガイドさんが彼等に呼びかけて、道の場所を教えてもらって無事トレイルに戻る事が出来ました。彼等はネパール人の家族で、小さい子供をカトマンズの学校に送り届ける為に、ラルキャラパスを越えていくそうです。学校に行くのに凄い道のりです。途中ダルマサラというキャンプサイト(建物で眠れる部屋もある)で朝食を食べました。200m上がるのに一時間を目安にゆっくりと上がっていきました。景色は、壮大過ぎて言葉では上手く説明が出来ません。



 ダルマサラ
 通常ここで最後泊まってからラルキャラパスに向かう事が多い。理由として、今回のように午後から天気が崩れる事があるから、午前中の早い時間に峠を越えるというのが最大の理由だと思う。 







 子供をカトマンズの小学校に連れて行く為に、峠越えをする家族。



全てが大きく、山の細部の細かさ、解像度が凄すぎるのです。
短絡的な表現ですが、ヤバイ、ヤバイヤバイ、ウォー‼︎と叫ばざるおえない景色なのです。
5000mという高地から6000~8000mの山に囲まれるというのは想像を越えた迫力なのです。

途中までは、ゆっくりと上がって来たこともあって余裕も感じていたのですが、行動し始めて、7時間程たってパスに近づいてくると高地による目眩のようなものや、これまで経験した事がないような疲れを感じました。僕は5000mという高度が身体に与えるダメージを軽く見過ぎていました。僕がこうなのだから由美子の疲れを考えるといたたまれません。僕が出来るのは荷物を持つ事だけです。ラルキャラパスさえ越えて、下りになれば、高地による疲れも無くなるはずだと信じて歩いてましたが、パスに差し掛かるころに天候が崩れて、雹が降り始めました。次第に雹は強くなってゆき、高地の寒さとダブルパンチで、パスを越えても油断ならない状況が続きました。雹の雲を抜けて、雪の斜面をトラバースして降りてきました。なかなかしんどい状況が続いたのですが、パスを越えた先にあるまた新しい景色の壮大さに心底ヤられたのも事実です。雲を突き抜けてそびえる山、氷河…。今日見た景色は、僕の記憶の中に無い、新しい迫力に充ち満ちていたものでした。ヒマラヤは怖くて凄い山だと改めて感じた次第です。


 ラルキャラパス



 雪雲を抜ける。


 ラルキャラパスを越えて。さらに新しい偉大な山々がそびえ立っている。

 氷河


 ビンタンの村(ロッジばかりですが)
ガスで見えないが西側からマナスルを一望出来るすごい展望がある。

今は午後9時。ベッドの中で書いてます。由美子は疲れ過ぎて寝込んでいます。一人で夕食のダルバートを食べて、スタッフルーム?に入れていただきました。昔ながらのティーハウスは、ロッジという名の新しい形態を取り、観光客とネパール人の場所を隔離したようです。スタッフルームには、ガイドさんやポーター、カトマンズに向かう先程の家族や地元の人がお酒を飲みつつ夜を楽しんでいます。誰でも仕事を忘れてゆっくとしたいのに、観光客がズカズカと足を踏み込むのを嫌がるのは当然だとも思います。ネパール人の憩いの場所は、ロッジのスタッフルームという形?で残っているようです。酔っ払た人の話しを英語で聞いていました。 「ネパールには、世界中の人が来る。私はネパールから出た事は無い。お金が沢山かかるから。でもネパールを愛している。この山と自然と、人の暖かさ。食事…。これは僕達の自慢なんだ。お金とはまた違う何かなんだ。」というような事を話していたように思います。彼はマッサージ師で売り込みも忘れずにしてましたが。
  
ガイドのスバシさんは、ガイドさんなのに地図もGPSも持っていません。これがネパールのガイドスタイルなのかもしれません(後日ネパールのガイドさんは地図を読めないと別のガイドさんに聞きました。)
山のガイドの価値観の相違もあるかと思いますが、日本の登山ガイドとは違って、山のガイドとしてはあまり信用は出来ませんでした。地図と行程に感しては、ほぼ完璧に頭の中に入っているようではあるのですが。でもネパールの案内役としては彼と出会って良かったと思うのです。

ヒマラヤ日記 10日目

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今ダラパニという村のロッジのベッドでこれを書いてます。
時刻は夜の8時。ダラパニとは水道水という意味らしいのですが、水道は通っていません。今日でマナスルサーキットは終わりました。 
人の暮らす地域を通過していく旅なので、ステルステント泊などは似合いません。逆に失礼でしょう。ロッジのベッドで起きる度にここはネパールなんだと毎度思い出しています。快適過ぎていつものミニマルな山の旅の暮らしとは異なります。

 
 ビンタンのロッジの部屋の窓からの景色

 西側から見るマナスル


 U.L.FramePack TWOプロトタイプ
ONEとMINIの中間のサイズ。ONEと同じくXフレーム構造。背負い心地をぐっと上げるために、ウエストベルトの取り付け構造にこれまでに無い新しいデザインをテスト中


 水力発電所
山のいたる所に小さい水力発電所がある。


 ベジローストポテト


明日から、アンナプルナの地域に入ります。今日は、
標高3800mのビンタンから、1963mのこの村まで、ひたすら下山してきました。ビンタンの村からは、裏側のマナスルが一望出来る凄い場所です。サマゴンから見たマナスルとは全く違う見え方に驚きました。トレイルも、森に溢れていて、規模の大きさはちがいますが、北アルプスの上高地から登っていく道のような清々しい雰囲気です。昨日降った雪が、山々を白化粧してとても美しいのです。午後を回ると風が強くなってきました。来た道を振り返り、ラルキャラパスがある山々を見ると、雲がベッタリと取り付き雪を降らしているようです。今シーズンは、4000mを越えた地域は雪が多く、5000m~となれば尚更だと思います。途中の村でようやく携帯の電波を拾う事が出来たので、幾つか仕事の進捗とトラブルについての確認をすることが出来ました。マナスルサーキットの裏側の地域もグルン族の村が多いらしく、どの村もロッジの建設ラッシュでした。こんなに作って大丈夫なのかと心配するぐらいです。外国人である我々は、古い景色や文化に触れられなくなることを悲しむのですが、当の本人達には関係の無い話でしょう。彼等自身が残したい文化、変えて行きたい生活を選択するのです。今日のゴールのダラパニは、アンナプルナ地域の起点にもなっていて、ジープが入ってくる事が出来ます。


このロッジで今後行く予定だった、ナー村、
5000mを越えるカランパスの情報収集をガイドさんが、同じ宿で一緒だった別のガイドさんにした所、余りにもテクニカルで難しいという事でした。一日の行動時間も予想以上にかかるとの事。この雪で誰も入って無いだろうからトレースも期待出来い。辞めた方がいいと言うのです。
正直、今更何なんだ…。と思いました。ガイドさんは足もくじいているし、装備も無いから山に入れないと言っているのです。事前にガイドさんはこの地域を歩いていないとは聞いてましたが、トレッキング会社は、山の情報を知りもしないで、ただパーミットの習得手続きをするだけなのでしょうか?今年は雪が多く残っているという情報は事前に持っているようでしたので、もしこの地域の情報を知っているのであれば、事前にそれ相当の準備をガイドさんにさせるべきでしょう。出発してからの色々と出来ない事が起こっているこの状況を振り返ると、余りにも適当過ぎる。と思うのです。終始ガイドさんに振り回されています。それなりに高いお金を支払っているのだからガイド会社はしっかりとして欲しいと思いました。何よりも出来る出来ない、難しいか、難しくないのか、知っているのか、知らないのか?は、出発してからではなく、事前にハッキリとして欲しいと思いました。ガイド会社はただ高い金をとって、ガイドを斡旋するだけの存在でしかありませんでした。僕らの歩きたい行程などガイドさんにはほぼ話は通っていなかったようです。今後、ヒマラヤに始めて行く方で、エベレスト街道やアンナプルナ以外の有名で無いコースや、通常よりも早い行程で進みたいという方は、ガイドを雇わなくても入れる山域(エベレスト周辺、ランタン、アンナプルナ山域)を選んで個人パーミットを修得するか、ガイド会社を通じてパーミットを修得するなら、会社としてその地域の知識があるのか、同行のガイドさんと行程の確認が取れているのか、ガイドさんの準備は万端か、難しいと思われるポイントは何処か、しっかり確認するのをお勧めします。日本人と間違えるぐらいに日本語が達者なスタッフを抱えている会社もいくつかあります。地図から見える地形と雪、高度、行程、ガイドさんの装備を考えて、今回は残念ながらカンラパスの道は諦める事にしました。ゆっくりとアンナプルナサーキットを楽しもうと思います。カンラパスに向かう前にこの情報が得られたのは良かったと思ってます。
もし僕等がそれ相当の準備をしてきていた場合どうなるのかともお
もうのです。ガイドさんは僕らと違ってテントもクランポンもストーブも持ってきていないのですから。でも、ルールでこの地域はガイドさん同行で無いと入れない地域なのですネパールではそれ等の情報も僕等が事前に知っておかないといけないルールなのかも知れません。
せっかく高地までロッジや村があるのだから、
カトマンズでも高地の残雪状況くらい掴めるような仕組み作りはすれば良いのにとおもいます。

ヒマラヤ日記 11日目

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今はチャメという村のロッジでこれを書いてます。
時刻は午後3時。カンラパスを諦めて、ダラパニからアンナプルナサーキットを歩き出しました。ガイドさんとここで別れる事もできましたが、行程的にも余裕が出来たので、ユルハイクと割り切って契約日までガイドしていただこうよ。という由美子の言い分に乗って、せっかくなので満了日まで引き続きガイドして頂く事となりました。ダラパニから、今日到着したチャメまでは、ジープが入る事が出来ます。昔は、本当の意味でのサーキットという形で2週間程かけて、下からぐるりと回っていた道も、ジープでチャメまで着て、トロンパスを越えて次の村でジープを乗り継いで街まで帰る事も出来ます。ジープロードというのは存外つまらないものですので、こういったコースで歩く人が今は多いのではないでしょうか?アンナプルナサーキットへのアクセスを合わしても一週間程で歩ききれます。先ほどチャメ迄の道はジープロードと書きましたが、一応面白味を出すために、ジープロードとはまた違う山道を、ジープロードのショートカットとして用意してあります。所々急な山道とジープロードを交互に歩く感じです。村やロッジは至るところにあり、ゆるく、風が気持ち良いハイクを楽しみました。お昼ご飯を待つ一時間もお昼寝タイムと考えると丁度良い頃合です。歩く人も多くなり、マナスルサーキットのように、ポーター数名とガイドさんという組み合わせも減り、個人トレッキングや、グループにガイドさん一人というシンプルなハイカーが増えました。チャメの手間にあるコトという村で、パーミットのチェックと、ナー村、カランパスへと向かう分岐があります。両側を凄い高さの断崖に挟まれた道をゆくそうです。パーミットをチェックしている人に、ここ一週間でそっちに向った人はいるか聞いてもらった所、ナー村、プー村まで行って戻ってくるグループを昨日一組いたが
カンラパスに行った人はいないとの事です。
今日も午後になると天気が悪くなってきました。今日も高所は雪でしょう。チャメはWi-Fiが入ると聞いてよろこんでいたのですが、アンテナは立っているのに全くアクセスもダウンロードも出来ません…。今、霰が振ってきました。雷の音もします。急に荒れ模様の天気に変わりました。洗濯もして、ホットシャワー(温度調節が、凄く難しく、ポタポタとしか出ない)も浴びたので、食堂にお茶でも飲みにいきます。

 セーフドリンキングウォーターステーション

 ヒマラヤでペットボトルの水を購入する事を止めるように言われています。
どこのロッジや商店でもペットボトルの水を販売しているのですが、そのペットボトルがゴミになって問題になっています。アンナプルナサーキットでは、定期的に濾過した水を安く販売するセーフドリンキングウォーターステーションが設置されています。


 どの村もロッジが一杯だけど、ホームステイもまだ受け入れている所があるという事かな。



 選挙ポスター


 ジープロードのショートカットで時々山道を歩く。



 水力発電所
 シーチキンチャオミン(焼きそば)


 ミックスフライドライス(炒飯)


 ナー村、カンラパスへ向かう道。断崖絶壁の谷を行く。


 チェックポスト
定期的に警察がパーミットをチェックしている。


ガイドさんにロクシーを作っているよと教えてもらった


 乗り合いジープ


 日本の獅子舞みたい


今は午前3時。目が覚めたのでこれを書いてます。
ベッドから起きるといつも自分はまだ自宅にいるような感覚で、山の中にいる感覚を持つ事が出来ません。昨日の夕飯で隣一緒だった人はドイツ人で、ソロでティリチョピーク7000mを目指すそうです。カンラパスも行こうとしたらしいのですが、パーミットを習得していなかったので、チェックポイントで通過出来なかったようです。行こうとしていた人ここにいたよ。と思いましたが、完璧なクライミングスタイルの人でした。でも久しぶりに、どうしようもなく山が好きな人の話を聞けて、心がスッキリとしました。正直このロッジスタイルは疲れてきました。

ヒマラヤ日記 12日目

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今は翌日の朝5時30分。ロッジで起きた所です。昨日は、チャメからピサンという街まできました。標高は3200mほど。先を急ぐというよりもゆっくりと歩いて、2時頃には村に着きました。チャメからの道は、様々な年代の人たちが多く歩いています。人の多さと、若い世代の多さは、マナスルサーキットとは全く違います。途中出会ったスペイン人のカップルが、トレイルの風景をユタ州(アメリカの)みたいと言ってました。確かに、乾いた感じとか雰囲気が、まるで西部劇の舞台のようです。乾いた暖かい天気に風がとても気持ち良い小春日和な一日でした。ガイドさんいわく、この時期のアンナプルナサーキットは午後から強い風が吹くそうです。


 翌日のマナンまではジープロードだった(このジープどこから入ったんだろう。)


 ものすごくでかい一枚岩上まで2000mぐらい?

 有名トレイルなので、ときたま露天出している人がいる。

 有名トレイルなだけに道は人が多い。

 ピサンの村は、川沿いのローピサンと、山の斜面にあるアッパーピサンに別れてます。僕達は、ローピサンに泊まり、ゆっくり休んで(フレンチフライにビールを呑んで)から、アッパーピサンを見学しに行きました。村に生えていた林檎の木が桜のように可愛らしく、今年花見が出来なかった事を残念に思い出しました。100m程綺麗な道を上がるとアッパーピサンです。今日は、お祭りらしく太鼓の音が聞こえてきます。村の男衆が集まって、弓を打ってました。時には唄い、時に踊り、交代で二本づつ30m程離れた、缶詰程の小さな的を狙うのです。多分この的に当たるまでずっと弓を交代で打ち続けるのでしょう。弓を見た後に、村の1番上にあるゴンパ(チベット仏教のお寺)を見学しました。とても綺麗なお寺で、見学者にレモンティーを振舞っていました。このお寺の真正面から、アンナプルナ2峰が目の前にそびえ立っています。物凄く美しく、大きく、偉大な風景です。マナスルサーキットとはまだ違った魅力に溢れたユルハイクな一日でした。




 アッパーピサン 
もし次回くるなら、アッパーピサンに泊まって、山沿いからマナンに抜けたい。


 アンナプルナ2峰


宿は満杯で、遅めに食事を取りました。
今日ガイドのスバシさんと別れる予定なので、他のガイドさんと一緒にロキシー(ホットウォーターと言い張っていた)を呑みつつ今後の注意点など色々と伺いました。

ヒマラヤ日記 13日目

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今はマナンという大きな村からこれを書いてます。
時刻は午後3時頃。標高は約3500m。昼頃に到着しました。泊るホテルでWi-Fiのパスコードを購入して、幾つか仕事をこなしたのですが、天気が悪くなり、雪が降り始めたら、Wi-Fiも動かなくなりました。それで諦めてこれを書いている次第です。ロッジの部屋の窓からは、雪が降る寒々しい景色がなんだが良い感じです。今日の道もジープロードがメインでした。しょっ中、地元のバイクが走り去っては、土煙りをたてていきます。並行して山沿いに歩くルートもあるのですが、600m程のアップダウンがあります。ガイドさんに導かれるままに下の道を歩いてきました。途中小さな飛行場がありました。道沿いの景色は昨日同様素晴らしく、アンナプルナ3や、ギャンガプルナが左手に良くみえました。右手には、今回諦めたカンラパス方面の奥マナンの山々。前にはティリチョピークが見えます。朝、このティリチョピーク(7134m)に登るドイツ人の青年と朝偶然再開する事が出来ました。何日かけて、ピークまで行くのかと質問した所、4~5日かけてゆっくり高度順応しながら攻めると言っていました。無事登頂される事を祈りたいです。


 小さな飛行機会社の窓口



 山の中腹に立派なグンパが見える。


 カンラパス、ナー村がある奥マナンの山々 
山沿いルートはアッパーピサンから手前の山を歩いてくるルート。 



 チベットのうどんトゥクパ



 部屋代がべらぼうに安くて(160NP)びっくりする。
それでいて、部屋にホットシャワーとトイレがある。



 マナンの村
 マナン群マナン村だから、県庁所在地みたいな村なのだろうか。古くて大きな村の手前に、新しいロッジが立ち並び、古い町並みと新しい町並みが同居しているような感じ。
どこも同じような感じとも言えるが、マナンの昔の町並みがとても大きく美しいので、そのコントラストがはっきりと映る。 アウトドアショップもあり、ネットも繋がるし、美味しいパン屋もある。



ヤクステーキ
イノシシみたいに少し臭みがありますが、味は割と美味しかったです。



今日までで、
11間一緒だったガイドのスバシさんとお別れしました。ここから来た道を3日程かけてカトマンズに戻るそうです。明日からは2人でトロンパスを目指します。予定では3日後の14日にトロンパスを越える予定なのですが、その日は、ネパールの新年なんだそうです。パス越えとネパールの新年を同時に祝えたらと楽しみです。

ヒマラヤ日記 14日目

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ヤクカルカ(ヤク牧場)のロッジでこれを書いてます。
標高は4000m。午後0時45分。昨日泊まったマナンは、とても美しい村でした。丘の上から見る朝のひかりに照らされた村、棚田、川、湖、山が一枚の絵のように美しくそこにあります。村の中に、小さなミュージアムが一軒あるのですがオススメです。79年に撮った古いマナンの村の景色と、現代の景色を比較して展示しています。面白いのが、昔の写真に写っていた村の子供や若い女性を、現代で見つけ出し、昔と今の姿と合わせて展示をしているのです。村の人家は何も変わらず、多くのロッジが何も無かった所に立ったのが良く分かりました。
 
 
 左中腹にマナンの村が見える。
 
 
 牛で耕し、家族みんなでジャガイモを植えている。

 何本もの木を担ぎ上げていく。山の上のロッジを作る為に持っていくのだろう。

 奥にティリチョレイクとティリチョピークがある。
 

 左がチベタンピザ
ピザの中にじゃがいもやジャガイモが入っていてキッシュみたい。


マナンから、
トロンパスに向けて谷沿いの山道を歩いて標高を上げていきます。ヤクカルカまで3時30分程しかかかりませんでしたが、前回行程を急ぎすぎて、体調を悪くしましたので、ユックリと高度を上げて行く事にしました。山沿いの道は、多くの人達がゆっくりと歩いて行きます。景色は相変わらず壮大です。途中ティリチョ方面の道が見えました。次回気のあった友達と2人きりで、ティリチョパスをせめてみたいです。ロッジではなく、偉大な山々に囲まれて、誰もいない中、テントで眠りたいのです。ヤクカルカは、ヤク牧場という意味通りに、多くのヤクが放し飼いになっています。
これを書いているうちにまた、雪が降ってきました。ここ二日、
午後になると決まって天気が崩れます。
 
 

ヒマラヤ日記 15日目

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今、トロンパスの手前のハイキャンプのロッジでこれを書いています。標高は4887m。驚くことにこんな高所まで立派なロッジがあるのです。ロッジは明日トロンパスを越える人達で溢れかえっています。これまで幾つかのロッジに分散していた人達がハイキャンプただ一つのロッジに集まるのだから当然といえば当然かもしれません。僕らは部屋を取る事が出来ましたが、遅く来た人は部屋が取れないのではないかと心配します。テントを張るにも雪融けの地面はぐちゃぐちゃで余り宜しく無い感じです。まだハイシーズンではない今この状況ですので、秋のハイシーズンは、部屋に泊まるのは至難の技かもしれません。このロッジの食堂を見渡すと殆どが白人です。アジア人はガイドポーターを除いたら5%いるかいないか。黒人系はゼロです。このロッジのすぐ下のロッジは、音楽もいまどきで、ここはどこのヨーロッパだ。と思うような雰囲気で驚きました。






朝の気温は-10℃程 地面も凍っている。 


 流石に寒いのでレインパンツを履く。今回はウインドパンツを持っていかないで、ウインドパンツ兼レインパンツとして、パーテックスシールド+のマウンテンイクイップメントのサイクロンパンツを持っていった。この素材抜け感すごく良く、超軽量で、かつポケットがついているので使い易かった。そしてうれしいのが、黒以外でいい色がある事。上に黒系の服が多いので、パンツの色を変えたかった自分としてはいいお買い物でした。



左にトレイルが見える。




ここまでの道のりは、流石に高度が高いので、前回の反省を踏まえて、慎重に高度を上げてきました。早朝の気温はー10度。ロッジの水道も、地面も凍ってます。途中、遠くの山肌にシープの群れを見つけたりもしました。標高が5000mに近づいてくると、これまで下から見上げてきた白い雪で覆われたヒマラヤの新しい面が見えてきます。多くの人達が登って行く中で、高山病が原因かは分かりませんが降りてくる人もいました。今の所2人とも高山病の兆候もなく、問題なく明日、早朝早くトロンパス越えに出発出来そうです。ようやく僕等のヒマラヤハイクも終わりが近づいています。

ヒマラヤ日記 16日目

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今はジャコットという村の小さなホテルの部屋でこれを書いています。時刻は4時。今日はトロンパスを越えて来ました。ハイキャンプからトロンパスを越えるのに通常朝の4時30分に出発します。その時間だとまだ暗いので僕らは少し明るくなってくる5時過ぎに出発しようと考えていました。朝4時頃に起きて、外を見てみると、少し雲が出ています。これまでの経験だと早いうちに天気が崩れる予感がします。4時30分頃に多くの人達が出発して行った後、まだ暗い中5時少し前に僕達も出発しました。ハイキャンプの下に泊まっていた人達もどんどんと上がってきました。(部屋が空いていない人や、少し高山病の疑いがある人は下に泊っていた模様)気温はー15度程。雪の斜面をトラバースしながら、トロンパスを目指します。先行パーティよりも30分程後に出発したのにもかかわらず、すぐに渋滞に遭遇しました。中々進まないのにイライラとしておりましたが、途中、この高度、雪の中にもかかわらず、ティーショップが営業しており、それを過ぎた辺りから、徐々に人数もまばらになってきました。景色は、マナスルサーキットのラルキャラパスの方が幾分壮大な景色です。歩き始めて3時間程で、トロンパスに到着しました。聞いてはいたのですが、この峠にもティーショップがあります。少々値は張りますが、ここで暖かいミルクティーを飲んで温まりました。天気は更に崩れてきて少し雪もぱらついています。風が無いのが幸いです。峠を越えた向こうに、まだ知らない山々が視界一杯に広がります。あの向こうに行きたいと心を掻き立てられます。雪で埋れたトレイルは、標高が下がると共に所々凍った箇所が出てきました。僕らはスパイダー(軽アイゼン)を持ってきていたので、快調に降りる事が出来ましたが、殆どの人が何も準備していないようです。1400m程雪の中一気に高度を下げる下山はかなり大変だったのではないでしょうか。特に普通のスニーカーで何十キロもありそうな荷物をこの雪の中運ぶポーターさんは、少し尋常ではありません。時々滑って転んだりしてました。雪の斜面で転ぶという事は、転んだ場所が悪ければ下まで滑落する危険性もあります。ほぼ多くの人がガイドさん、ポーターを付けて歩いているのにも関わらず、軽アイゼンなどの道具に関しては、全く頓着は無かったようです。この雪と天候と高度を考えると、日本では考えられません。例年であればこの時期トロンパスは雪が無いらしいのでそのせいかもしれません。もしかしたら出発前は雪が無かったけど、ここ1週間ぐらいの天気の悪さで雪が積もったとも考えられます。ヒマラヤに来る人は軽アイゼンなどの装備はガイド会社が何も言わなくても準備された方が良いと思います。僕らは雪道も夏道も両方味わえたので楽しくて満足しました。










 ムクナートの寺院 ヒンデゥー教の聖地の一つらしい。


 ムクナート


ジャコットを望む


僕たちは11時頃に山裾のロッジに到着。お昼ご飯を食べました。12時頃に1番近いムクナートという村に到着。今日はネパールの新年ということもあり、高台のお寺には沢山の参拝客がいました。ムクナートまで、ジープが入れるからか、この村は開発が進み、ビルなどもあります。僕達には少し疲れそうな村に感じたので、もう一つ先のこのジャコットまで来ました。ムクナートから見えるジャコットは、断崖の山の上にある要塞のような村のようにも見えます。周りの風景と溶け込み絵のような美しい村です。この村のプラカースホテルに泊まったのですが、泊まっているのは僕達同様に、静かなネパールを楽しみたい人達でした。村の奥にはお寺もあり、そこで三ヶ月もボランティアをされているというドイツ人の女性に案内していただきました。空には大きなコンドルのような鳥が飛び、由美子と2人で、ドラクエ感満載だよね。と喜んだのです。



ヒマラヤ日記 17日目

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今ジョムソンのゲストハウスでこれを書いてます。
時刻は夜の8時30分。夕食を食べてベッドの中です。このハイクをトロンパスを越えてムクナートで終わる事も出来ました。何故なら、ムクナートまでジープが入る事が出来るから、そのままポカラまで帰る事も出来ます。(ガイドさんはチャーターしてポカラまで帰れると言っていましたが、実際は乗り継ぎになるようですので、当日中にポカラまで帰るのは難しそうです。)でも、ハイクは終わりません。今日歩いた道も中々壮大でした。村々を繋ぐ道も、これまでとはまた違った魅力に溢れていました。途中崖の向こうに、はるか昔の遺跡のような場所も見る事が出来ました。マナスルサーキットからここまで来ましたが、景色だけでなく、身体で感じる乾いた感じや、風土など、峠を越える度に新しい国に辿り着いたように感じます。これをジープで通り過ぎるのは勿体無い。行った事はありませんが、中南米の何処かを歩いているように感じました。そして、いつも食べるダルバートの味も変わっていきます。特にここムスタン(この辺りの県?)の味は格別に美味しいのです。お酒もこのあたりのロクシーは、アップルブランデーという名で、リンゴから作るロクシーを味わう事が出来ます。元々は、今日泊まっているジョムソンを今回のヒマラヤハイクのゴールとしていたのですが、ジョムソンから一時間程先のマルファという街がとても美しいと聞き、マルファを僕らのゴールとしました。今日は本当はゴールのマルファという街迄行く予定だったのが、途中お昼を食べたエクレバティ(一軒茶屋という意味)からジョムソンまでの道程が台風のような強風で由美子が疲れてしまい、このジョムソンに泊まる事になりました。強風の中歩きながら、ガイドのスバシさんがこの時期のジョムソンは午後から風が強くなると言っていた事を思い出しました。噂ではジョムソンはムクナートみたいな開発された大きな街と聞いてましたが、川沿いの柳ような木は美しく、通りには所々石畳がしかれ、大きな学校に通う制服姿の子供達。良い雰囲気の街です。久しぶりに熱いシャワーも浴びれたし、ハイクを始めてから割と全うなWi-Fi環境に始めて出会うこともできました。街の中、道路に寝ている犬に混じって牛が犬のように其処らで寝ていたり、勝手気ままに散歩している姿は面白くも感じます。また、露天でアンモナイトの化石を売っていてまさか本物じゃないよなと思ってネットで調べてみたら本物のようでした。街の横に流れる川で化石が取れるようです。そういえば、ここに来る途中、黙々と石を割っている人を見る事がありました。ヒマラヤは昔は海だったという話しを思い出すいいお土産になりそうです。明日はゆっくりと最後のハイクを楽しもうと思います。

 ジャコットの村
 越えてきたトロンパスを振り返る


崖の中腹に洞窟と道らしきものが見える
左には壁の跡らしいものも見える
 ジョムソンの博物館で知った所によると実際に昔の遺跡だったらしい。
途中すれ違ったガイドさんは何も知らないと言っていたので、さだかではありませんが...。
洞窟はネパールのいたる所にあって、昔旅する人も岩屋として使っていたらしい。




ヒマラヤ日記 17日目

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マルファという村のホテルでこれを書いています。
時刻は午後の6時前。村外れのムスタンミュージアムを見学して、朝9時頃にジョムソンを出発しました。今日も強風が吹いています。風が強いこの大きな谷は、ウインディヴァレー、風の谷と呼ばれているそうです。ジープロードを1時間程歩いて今回のハイクのゴール、マルファ村に到着しました。聴きしに優る美しい村です。観光地としても人気が高いのか、お土産屋さんの客引きが少し多いです。その点が残念で、観光には良かったけどハイクには少し蛇足だったかも。今一気に疲れを感じています。午後から崩れた天気がそれに拍車をかけます。明日は、バスでベニという街を経由してポカラに向かう予定です。もう少し時間を置いて今回のハイクを振り返りたいとおもいます。牛や馬や、ミュール達が奏でる美しい鐘の音、鶏の鳴き声。街歩く人の歌声のような響きともそろそろお別れです。時間がたったら懐かしく思い出すのでしょう。
 
 
 ジョムソン

 アンナプルナ国立公園に来る観光客トップ10

 アンナプルナ地方はTIMSと国立公園のパーミットの二つの許可証が必要。定期的にチェックポストが設置されている。

 博物館 まあまあ面白かった。

 強風のジープロード

 マルファ
たんぽぽという日本語が書かれたホテルに泊る。
日本語が凄く上手いネパール人が経営している。

 ムスタン地方のダルバートは最高。ダルスープがスパイスが効いていて美味しい。

 「チベット旅行記」の河口 慧海が住んでいた記念館
今回のハイクをはじめるにあたってはじめて知った人。仏教のオリジナルの教典を求めて、まだ鎖国中のチベットへネパールから目指す。キンドルで無料で入手可能。
今回読みながらハイクをしていた。


翌日早朝にバスでベニまで行き、ベニからタクシーに乗ってポカラに夕方頃到着。
バスは話には聞いていたが凄かった。普通に吐く人がいるというのは納得。終始お尻が10~30cm飛んでいる。7時間のバス旅。僕らが座った後部座席が一番酷いという話。 僕は平気だったけど、由美子は二度と乗りたくないとの事。
 
 
ヒマラヤ日記はこれで終了。
この後、ポカラに2日程滞在してカトマンズに飛行機で戻り帰国しました。
ポカラはゆっくりとしていて気持ち良い街でした。
ポカラからカトマンズまでの飛行機は、山を眺めながらこれまでの山旅を振り返る事が出来ました。席は自由席なので、早く並んで左側の席に座る事をお勧めします。
帰国日に体調を壊し、帰国しても数日間寝込んでいました。
色々と疲れていたのかもしれません。下山後の暴飲暴食が原因かもしれませんが。
山は素晴らしいけど、ロッジの旅は長く続くと少々疲れてしまいました。
山の中にいるのはどれだけでも飽きないのに。
 
 
ヒマラヤハイクに関するお役立ち情報などは後日アップ予定。
6/7にヒマラヤの魅力について『HIMALAYA CALLING』というイベントを企画中。
ヒマラヤはすごい場所です。良い所も悪い所も、他には無い魅力に溢れています。
僕らはその少しを経験したに過ぎません。僕らはもっとヒマラヤの魅力を知りたいと思いました。その為に、今回ハイクをするにあたって相談させていただいた4名の方に、ヒマラヤの魅力について話をしていただく会を計画中です。後日詳細をアップします。
 

HIMALAYA CALLING

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HIMALAYA CALLING

ヒマラヤはすごい山でした。私達のハイクの記録は、深く大きいヒマラヤの一部でしかありません。山の魅力、文化の魅力、風土の魅力...。私達はもっとヒマラヤの事が知りたくなりました。私達のヒマラヤハイクの相談役を買って出てくださった鈴木さん、根本さん、三田さん、庄司さんの4名をゲストにお招きして、ヒマラヤの魅力についてお話いただく場を設けました。講演の後にはネパール料理を食べながら、ゲストと共に懇談会を開催致します。今回の会の為に京都よりプラントラボ(電気食堂としても知られています)がやってきます。ネパールの定食ダルバートを作っていただく予定です。



日時:2014年6月7日(土)


スケジュール:

開場:17:00
講演:17:30 ~ 19:00
山と道からのQ&A:19:00 ~ 19:30
ネパール料理と懇談会:19:30 ~ 20:30
閉会: 20:30

定員:50名 要予約

会場:CALM & PUNK GALLERY (カームアンドパンクギャラリー)
住所:〒106-0031東京都港区西麻布1-15-15 浅井ビル1F


会費:2000円 ネパールフード付き *ドリンク他別途

*予約定員制とさせていただきます。
予約定員に達しました。ありがとうございます。 

*キャンセル待ちのご予約はコチラから


*内容は予告無く変更になる事がございます。ご了承ください。


ヒマラヤはこれまで山が好きな人なら誰もが一度は憧れながらも、険しいイメージや、ガイドやポーターを雇い、歩くよりも"登る"というイメージに敬遠していた人も中にはいるのではないでしょうか? 2011年にネパールを東西に縦断するグレイトヒマラヤトレイル(GHT)が開通し、アメリカのハイカーShawn Forry (trail name Pepper) と Justin Lichter (aka Trauma)(トレイルズでトラウマのインタビューが読めます。)がスルーハイクするなど、ハイカーからも注目を集めています。



私達は正直、村々を繋ぎロッジを転々とするハイクに疲れてしまう場面もありました。 グレイトヒマラヤトレイルを全てスルーハイクをしようとすると、パーミットの面で色々な制約がある事も分かりました。しかし、ヒマラヤの山の魅力はそれを補って十分な程に輝いていました。より深く、ヒマラヤの事が知りたい。ヒマラヤを深く知る方々の口から出る生の言葉を通して、ヒマラヤの魅力をさらに知れたらと思います。まだ行った事が無い人にも、何度も足を運んだ事がある人にも、それぞれ実りある会になればと思っております。


カメラマンの鈴木さんはヒマラヤでトレッキングガイドをされていた経験をお持ちです。はじめてヒマラヤに行こうと考えている人に向けて、漠然とイメージするヒマラヤをより具体的に感じてもらう為の
お話を伺います

山岳ガイドの根本さんはグレイトヒマラヤトレイルを積極的に日本に紹介しようと活動されています。現地のガイドやポーターをネパールの文化、山の案内人として共に歩き、「いかに隔絶したエリアに入って行き、それぞれの文化・風俗を体感しつつ登山を楽しめるか?」をテーマにお話を伺います
カメラマンでありライターとしても活躍する三田さんは雑誌スペクテイターをはじめ他誌にもヒマラヤの記録を発表されています。個人で歩く事が出来るヘランブー〜ランタン山域のお話を伺います。
映像作家の庄司さんはグレイトヒマラヤトレイルの開通前に、カトマンズからヒマラヤ山脈の南縁(インド亜大陸との接合線)からインドのザンスカールまで約1500キロをスルーハイクされています。特にヒマラヤの西奥地にあるザンスカールの魅力についてお話を伺います。




<ゲスト紹介>



鈴木 謙介

〜雪の住みか・ヒマラヤと人〜 ネパールとパキスタンのヒマラヤを山麓に生きる人々と文化と共にご紹介します。「ヒマラヤ」とはそもそも何なのか。そんなところからお話します。ヒマラヤを旅したい。ただ、どこへ向かえば良いかわからない。そんな方が旅に出るきっかけになれたらうれしく思います。








鈴木 謙介  プロフィール  
1977年生まれ。山旅フォトグラファー。 獣医大在学中より登山に没頭し、単独での厳冬季長期縦走や登攀を続ける。山旅の訪問国は40数カ国。最近はチベットの東部ヒマラヤに注目している。






 根本 秀嗣



ヒマラヤ。普通の人々が日々の生活を営むパハール(丘陵地帯)と呼ぶエリアは、日本の北アルプスが幾度となく起伏したような規模の空間のなかに広がっています。
グレートヒマラヤ。山麓にシェルパ族などのチベット系・高地少数民族が住むヒマール(山岳地帯)と呼ぶエリアには、荘厳な山岳景観が広がっています。
私は、現地の方にサポートしてもらいながら、かつ私の方でも自助努力をする簡素なスタイルで、いかに隔絶したエリアに入って行き、それぞれの文化・風俗を体感しつつ登山を楽しめるか?というテーマで旅をしています。
登山を交えた長い旅の中でパハールとヒマールを繰り返し出入りしながら味わっている、山と田舎の人と私との対話のような旅のヒトコマを魅力的にご紹介できたらいいと思います。



根本 秀嗣 プロフィール

1975 茨城県常陸大宮市 (合併前当時は那珂郡山方町) 生まれ
2001 仁寿峰クライミングトリップ韓国
2002 ナリ 6194m   ェストバットレスルート (アラスカ山脈/アメリカ)
2003 レイドゴロワーズ ルギス大会 リタイ
2007 チャコ 6704m 南東稜 (リーヒマール/ネパール
2007 チュルーェスト 6419m (チュルーヒマール/ネパール
2007 アンナプルナサーキットからアッパームスタンへの継続トレックネパール
2011 ーズ 31ッチ ビッグォールクライミング  (エルキャピタン/ヨセミテ/アメリカ
2013 マカルー地域からソルクンブー地域への継続トレックネパール
2013 イムジャツェ 6189m  (クンブーヒマール/ネパール
2014 カンチェンジュンガ地域グレートヒマラヤトレイルと6000m峰の登山を予

本山岳ガイド協会認定ガイ
産業ロープアクセス同業者協会 (IRATA) 認定 LEVEL1 テクニシャ
MEDIC First Aid 認定 BasicPlus ファーストレスポンダー




三田正明


「カトマンドゥからヒマラヤまで歩いて行く/ヘランブー〜ランタン・トレッキング」

自分は2007年以来、アンナプルナ山域、エベレスト山域、ヘランブー〜ランタン山域と三度に渡ってガイド/ポーターなしでヒマラヤを旅してきました。ともあれ、とくにチャレンジングなトレイルを歩いたわけでもなく、いち旅行者としての視点以上にネパールやヒマラヤのことをよく知っているわけでもありません。なので、今回は昨年歩いたヘランブー〜ランタン・トレイルの話に焦点を絞り、ヒマラヤを歩く旅の魅力と現実を等身大のトレッカー目線で語らせていただけたらと思います。ネパール・ヒマラヤは思っているよりもずっと近く、旅のコストもかからず、山の初心者でも十分歩ける素晴らしいトレイルが数多くあります。夏目さんご夫妻や他のゲストの方々と楽しくお話させていただき、ひとりでも多くの方があの偉大な山々に出会われるとするならば、こんなに嬉しいことはありません。





三田正明 プロフィール
カメラマン/ライター。雑誌スペクテイターを始めアウトドア雑誌等で旅やハイキングに関する多くの記事を執筆。TRAIL CULTURAL WEBMAGAZINE TRAILSではエディターも勤める。2007年からこれまでにヒマラヤへは3回訪れている。新潮社ROLaでエッセイスト/漫画家のしまおまほさんと『チルアウトドア』連載中。





庄司康治 


交易路の歴史をたどり、秘境の寺院を訪ねたり、花が咲き乱れる谷や、ヒマラヤの秘湯めぐり、釣り竿を持って歩いたり、雪豹やレッサーパンダを見つけるコアなトレッキング、カトマンズ盆地のあぜ道を繋ぐ身近な散歩…
旅する人のアイディア次第で、ヒマラヤの旅は、どんどん広がっていきます。
そして、グレートヒマラヤトトレイルを超える長大なルートも、ヒマラヤには数多くあるのです。
アフガニスタン、チベット、パキスタン、インド、ブータン、そして、ネパールで、いくつか実践したビッグトレックを簡単に紹介しながら、ザンスカールの冬の旅、「氷の回廊」のお話を予定しています。
大きくても小さくても、みなさんが見つける、それぞれのヒマラヤ・トレイルを楽しんで頂ければ…と、願っています。



庄司康治 プロフィール
映像作家、早稲田大学探検部OB
アフガニスタン・ワハン回廊、プラマプトラ川屈曲点、ネパール・ドルポ、ブータン・スノーマントレック…などの徒歩の旅。
エベレスト、アンナプルナ、アマダブラム、ニルギリ、シシャパンマ…などへのアルパインクライミング。
ヒマラヤの村や文化の映像制作。




ネパール料理ケータリング






立食スタイルとなりますが、ビュッフェスタイルでネパール料理の定番「ダルバート」とタルカリ(おかず)を数種出す予定です。ドリンク代他は別途料金が必要となります。

東 岳志 / PLANT LAB. PLANT LAB. 主宰。 幼少の頃より、登山好きの両親の影響で山歩きを始める。 ネパールのトレイルを旅した際、ネパールの日常食、 ダルバートと出会ったことをきっかけに料理を始める。 2014年、京都にて Vegan 料理店 PLANT LAB. (プラントラボ) をOPEN。 <comfort food> ( 心地よい食 / 家庭料理 ) というテーマで、 毎日でも食べられる野菜料理を提案。 ケータリングやイベント出店、行動食の開発なども行なっている。

僕たちのヒマラヤハイクのコストについてあれこれ

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僕たちのヒマラヤハイクのコストについて少しまとめてみます。


<飛行機代について>

羽田からカトマンズまでの経由便が検索出来なかったため、AirAsia X の便を別々に取ってカトマンズを往復しました。一旦経由地で出国したりとか面倒だったので、電話で問い合わせて、目的地までのチケットを取れるように手配すれば良かったと思っています。

AirAsia X 

羽田 →クアラルンプール
クアラルンプール→羽田
2名分118,300円
クアラルンプール→カトマンズ
2名分 39,485円
カトマンズ→クアラルンプール
2名分50,551円
合計:208,336円
*映画等のサービス無し。 結局高くついたなと思っています。

ネパールの入口はカトマンズになります。日本からの直行便は無く(2014年現在)、経由便となるため、経由地で一泊するなど、時間とコスト、飛行機からの展望等が天秤にかけられます。飛行機代は5〜10万円(燃料代込み)で購入する事が可能です。
僕たちはエアアジアXを使ってクアラルンプール経由でカトマンズまで入りました。週末の金曜日深夜、羽田発着の便を使い、経由地で一泊する事無く翌日にカトマンズに入る事が出来ました。 一番安いのは中華東方航空。4万円代から往復チケットが入手出来そうです。時間はかかりそうですが、展望も良さそうです。
展望が一番良いのは、中国の成都経由でチベットのラサを経由してカトマンズに入る便だそうです。イベント『ヒマラヤコーリング』で鈴木さんが発表されてましたが、ヒマラヤ上空、エベレストのすぐ近くを飛んでいくので、ものずごい迫力ある景色を飛行機から見れるそうです。

*飛行機はスカイスキャナーで基本調べています。



<パーミットとガイド、現地交通費について>

1Nルピー= 約1円

ネパール入国ビザ 30日分(5000円/40$)
マナスルエリア特別入域許可証代9日間:256ドル(2名分)
マナスルの国立公園入園証:70ドル(2名分)
奥マナンエリア(結局行けず)7日間:150ドル2名分)
ガイド料金(日当、宿泊、食費):870ドル
カトマンズ→ソティコーラ ジープチャーター代: 250ドル
国内線:ポカラ→カトマンズ:218ドル
トレッキング会社手数料:240ドル

アンナプルナ国立公園入園証+TIMS:100ドル2名分)
*現地手配

マナン→ベニ バス代:3200Nルピー2名分)
ベニ→ポカラ タクシー代:2500〜3000Nルピー

*マナスルエリアは特別なトレッキングパーミットが必要なエリアで、二名以上のパーティ、現地トレッキング会社を通じて、正式なガイドを雇い、パーミットを入手しなくてはならないので、どうしても費用がかさみます。


<宿代や食費など>

山のロッジは、基本食事代がメインで宿泊がサービスで付いて来るというスタイルでやっています。なので部屋代単体は安いが基本宿で食事を取るのがルールになっています。
場所によって値段は異なるが、1泊、食事代と宿泊代で1名1000〜2000 Nルピーが相場だと思います。高地に行けば行く程荷揚げ代がかかってくるので高くなります。水もペットボトルで買うと高価でかつゴミになるので浄水器は持参しましょう。低地と高地で3倍くらい値段は変わってきます。またハイシーズン(10月/11月)は需要と供給のバランスでもっと高くなるらしいです。


<安くヒマラヤを楽しむには>

ヒマラヤは基本どこまでいっても高地に村があり、ロッジがあるので、高地順応さえ気をつけて行えば誰でも気軽にハイクが出来る場所です。テントもクッカー関係も無くても十分歩けるので(僕たちは今回のハイクで使う事がほぼ無かった。)荷物も軽く出来ます。トレッキング会社を通じて正式なガイドを雇い、パーミットを入手しないと入れない地域も多くあるのですが、個人でパーミット(TIMS個人トレッキング許可書)を入手出来る、エベレスト山域、アンナプルナ山域、ランタン山域であれば、飛行機代を5万円以内に押さえれば、現地の宿泊費等を入れても、10万円程で十分ハイクを楽しむ事が出来るのではないでしょうか。(ハイシーズンを除く)


森勝探検隊 奥多摩洞窟探検に行く!

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森勝隊長の元奥多摩の某洞窟探検に我らスタッフは向かった!


 黄色いバックを正面にも背負っているのが森勝隊長。都内で30名いるかいないかと言われるケイビングを行い、かつ今でも新しい洞窟を探索発見しているチームに所属している。いわゆるプロという奴だ!巷では低山研究家として人気ブログを書いている。僕ら2名の他に、奥多摩御岳駅前に中古登山道具屋兼ツリークライミングを開催している「マウンガ」の3名、総勢6名の探検隊が結成された。モリカツ隊長以外の5名は洞窟探検がはじめてというズブの素人である。 森勝隊長曰く、「今日は半殺しで行くから。」



洞窟に入る手前から凍るような冷たい川を渡渉して行く。川が増水していて靴下と靴が濡れてしまった!



 これが入口である。すごく小さい....。


 最初の洞窟で基礎訓練を終えて、第二の洞窟へと向かう。




 第二の洞窟の入口 第一と第二の洞窟は実は繋がっているらしいが、その道はあまりにも狭く険しく初心者は発狂する怖れがあるとの事で恐がりの僕らは別々に探検を行う事にした。



 森勝隊長からお借りしたスペシャルなツナギ。流石森勝隊長である。TPOを心得ている!!!



 洞窟内部は先日の雨が染み込み、濡れて、泥で足が滑る危険な状態だった。数メートルの崖を下る箇所もいくつかあり、森勝隊長曰く「三点指示は危険だ」身体全体、背中、肘、膝、お尻を使い、チムニーと呼ばれる動作で進んで行く。写真は危険箇所にロープ工作を行う森勝隊長。



グループを2班に分けて探索を進めていく。洞窟の底に滑り落ちそうな危険を越えて、集合場所に行くとマウンガチームがいない...。大きな声で呼びかけても声は帰ってこない。彼等に何があったというのか。我らは止まる訳にはいかない。必死に声を上げながら先に進んで行く。マウンガチームはどこに消えたというのか...。我らの中に緊張感が高まった所に、向こうにかすかな光が見える。岩壁の小さな隙間の向こうにマウンガチームの一員の顔を発見した!! 川ちゃんだ!!!(多分)「ようやく会えた。本当に感動した〜!」と彼は言った。 洞窟の中は声は反響するものとばかり思っていたが、たかが数メートルしか離れていないのに、音はまったく聴こえない。音が洞窟に吸い込まれていくようだ。



 無事我らはゴールに到着した。がしかし、迷路のような洞窟は帰りの道が分からない。私達はどこから来たのか? 僕たちの移動距離は50mぐらいしかないだろう。なのに、来た道が分からないのだ。森勝隊長が後ろで笑っている。負けるわけにはいかない。ズブの素人である我らとマウンガチームの知恵と力を結集して道を探し当てる事がようやく出来た。




森勝隊長の動きは素早い。我らがハーハー言いながらくぐり抜けた穴を素早く越えていく。






無事我らは生還する事が出来た。だが冒険はここで終わりでは無かった。川を越えて、奥多摩の秘滝を見に行くという。ここで事件は起こった。増水して流れの早い川を越えていく際に由美子が足を滑らしたのだ!!!川に流されそうになる由美子。自分も飛び込み、森勝隊長の適切なサポートの元、川から無事救い出す事が出来た。


 今回は「奥多摩グーニーズ」と呼べる冒険であった。まだ、「奥多摩スタンドバイミー」と呼ぶ冒険が待っているらしい。森勝隊長は奥多摩、高尾をフィールドに数々の冒険や山遊びを教えたり、提案をしている。今度はどんな事を考えているんですか?と森勝隊長に聞くと今度は「クライモリデッドハイキング」を計画中。道無き道を行き、地名の言われや人間の痕跡・歴史を思うハイキングらしい....。次回の森勝探検隊はいつ出発だ!


山と道ハイカーウォレット

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普段生活していて割と道具のデザインで気になるのが財布だったりします。
使い易さとか、大きさとか、柔らかさとか、使いにくいと普段の生活がイライラしたりします。山では防水性、軽量性、携帯したときの柔らかさとかなどの理由でジプロックを財布として使ってきました。ジプロックは上記の理由で割と使い易くはあったのですが、少しサイズが大きくすぎたりとか、小銭とお札が混ざりあって、少々使いにくさが気になっていました。そこで小銭入れスペースを付けた満足いく財布を作りたいと思い「山と道ハイカーウォレット」を自作してみる事にしました。

 <用意した物> 横幅が大きすぎない(二つ折した冊がゆったりと収まるサイズ)ジップ袋2枚、ホットカッター、鉄定規、カッター。

 小銭入れにするジップ袋の取り出し口が長過ぎると少し邪魔なので、適当な長さに短くします。


 下部分を同じく適当な大きさにカットします。


 カットしたジップ袋をもう一枚のジップ袋の中に入れます。

 こんな感じです。小銭入れにする中に入れたジップ袋の入口部分が長いと少々邪魔になります。

 重ねたジップ袋の下部分を使い易いサイズ(ぴったりのサイズよりかは少し大きめの方が使い易い)にホットカッターでカットします。するとホットカッターの熱で二枚のジップ袋が溶接されてくっつきます。

重量3gの山と道ハイカーウォレットの完成。


 真ん中にある小銭入れのジップ袋が仕切りになり、お札とカード関係を別々に収納出来ます。

 中のジップ袋を開けると小銭入れ。


 サイズはW14 x H12cm

普段からテストを兼ねて愛用しています。
柔らかくて、ポケットの中に入れていても財布の硬さが気にならないのが気にいっています。

少々問題なのは、溶接部分の耐久性と、ジップ袋の防水性。

これらの問題に関しては、ビニールテープで補強をするとか、より良いジップ袋を見つける事で解決していきたいと思います。

こんな山と道ハイカーウォレット。欲しい人はいますか?
今後山と道のノベルティにしていきたいと考えています。


HIKELOGUE 04 - Kita Alps

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Kita Alps 27 August - 14 September 2013
Recorded at Hiker's Depot

Dialogue by
Tomoyoshi Tsuchiya, Akira Natsume, Hideki Toyoshima
Movie by Hideki Toyoshima
Musuic by Subtle
Dialoge Sound Mix by Shinobu Koike (Boo-san)

All rights reserved.


豊嶋さんがソロで、北アルプスを19日間、ライトウェイト装備で縦走されてきた記録です。

日本海の親不知から、槍ヶ岳、薬師岳通過して剱岳までの道は、地図の上から見るとJの字にも見えます。豊嶋さんはその道を「J-WALK」と名付けられました。

豊嶋さんのザックはU.L. FramePack ONE これだけの日数を 最大荷重容量11kgに押さえて歩いたというのだから驚きです。軽量化の秘訣は小屋食の積極利用だったそうです。
日本のアルプスのように、稜線沿いに有人小屋が多くある場所は、世界的に見てもほぼ存在しない特別なトレイルといえるでしょう。せっかくある有人小屋を積極利用する事で、ツェルト伯とはいえ、これだけの軽量化が実現出来るとは。

見ているだけで「北アルプス行きたい...。行かねば」という気持ちになります。



このハイクローグは、2013年の鎌倉ハイカーズミーティングで発表された「北ア19」のハイクローグ版でもあります。以下、ライター根津さんが書かれたイベント振り返りのレポートを転載します。






台風が来ていたこともあり、かなり風雨にさらされたハイクだった。

3日目の白馬岳頂上小屋では、テント場でのツェルト泊。しかし、雨がひどく1泊後に山小屋に駆け込むことに。じつは山小屋泊が初めてだったが、客が自分だけだったこともあり、小屋の主人と一緒に酒を飲んで楽しんだ。また、本棚にあった北アルプス山小屋ガイドというムック本を読み、自分の地図に書き込んで参考にしたという。

また、船窪小屋では出発する際に小屋の人がずっと手を振ってくれたり、三俣山荘では展望食堂でオムライスを食べ、黒部の山賊を買ったり。基本はツェルト泊だったが、山小屋での食事なども楽しんだ。13日目には奥さんと合流し、一緒に北上。室堂山荘では温泉を満喫したそうだ。



豊嶋氏いわく「なにかすごいことをしたわけではないが、なにはともあれジェイウォーカーになることはできた」とのこと。

自分で自分なりの道を描き、自分なりの楽しみ方を実践する。
ハイキングに良い悪いもないのである。「どこのコースがオススメですか?」と聞きたくなる人もいるだろうが、その前に、一度自分でルートを描いてみてはいかがだろうか。きっと誰も知らない、何にも縛られない、あなただけの楽しいハイクが待っているはずだ。






Customer report / MINI 小野 雅弘選手

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小野 雅弘選手から御連絡をいただいたのはいつだっただろうか。 
過去のメールを見てみると、2012年12月のメールがはじめだった。
トランスジャパンアルプスレース(以下TJAR)でミニマリストパッドが活躍したとメールをいただき弊社のMINIに興味があると連絡をいただいた。TJARは日本海から太平洋までアルプスを横断する日本で一番過酷で、かつ心を揺さぶる山岳レースだと僕は思う。レースとは言うものの、NHKでTJARドキュメンタリーを見た人は、そこに順位の良し悪しを越えた、そのレースに参加した人達の"山"のドラマに感動を憶えたのではないだろうかと思う。
 その当時 TJARへの感動が覚めない中(TV放送は同年の10月だった)小野選手からの連絡を受けて大変うれしかった事を憶えている。そこで僕は小野選手に、一度サンプルを使ってみて、良かったら購入していただきたい。そしてもし良かったらMINIのレビューを書いて欲しいと図々しく頼んだのだ。

小野選手がMINIをテスト使用後に購入されてから1年以上がたち、まだMINIが良いと思っていただけるなら質問に答えて欲しいと再度連絡をとらせていただいた。以下は私から小野選手への質問とその回答である。







Q: どうしてMINIに興味を持ったのですか?

トランスジャパンアルプスレース(TJAR、日本海(富山県)から北アルプスから中央アルプス、そして南アルプスを越えて太平洋(静岡県)までの約415Kmを自身の足のみで8日間以内に踏破する山岳アドベンチャーレース)などに出る中で、より軽量かつ耐久性があるパックが欲しいと思っていたがランニング向けのものは軽量なものの耐久性に不安のあるものかあまり軽くないものしかなかった。一方、数か月にも及ぶロングトレイルをするときに有効なULハイクのスタイルのパックは軽量なもののある程度の耐久性もあるが、多くのものが自分の求めるものには容量が大きすぎであった。軽量で耐久性のあるパックを探しており、TJARでミニマリストパッドを使っていたこともあり山と道のサイトを見ていたところMINIを見つけてこれだと思った。



Q: これまでどんなシチュエーショ ンでMINIを使ってきましたか?
 

主に日本アルプスで1泊〜2泊でのファストパッキング、ULハイクスタイルでの山行に使用。
 


Q: MINIを使ってみていかがでし たか?
  
実重量に加え、重心位置が高いので行動時にとても軽快に感じる。容量も25Lとはなっているものの実際はそれ以上入ると思われ、天候などによって荷物を多く持っていくときなどにも対応可能。また、重量の割に耐久性も十分だと感じた。
 


Q: これまで使っていたバックパックと比較してMINIをどう感じましたか? 良い点、悪い点などを教えてください。 

まずなんといっても軽量!それでいて背面パッドにミニマリストパッドが四つ折りで入っているのである程度の硬さが出ていて荷物が多くても背負い心地が良く、ショルダーハーネスも十分なクッションがあるので肩の擦れなどのトラブルもない。これだけの容量のパックにもかかわらず重心が高いので走ったりするときも快適。ロードなどの揺れも許容範囲内。また、この重量にもかかわらず底の部分の素材を変えるなど耐久性も十分な作りだと思う。
 



Q: 道具はどうしても良い点と気になる点などが同居しているものだと思います。
特に、僕らのようなハイクと違って、小野選手のように、ランやファストパッキングだと
その気になる点が出ない方が不自然のようにも感じます。
MINIをお使いになってもっとこうだったらいいというような改善希望点や、気になる点があれば教えてください

ファストパッキング用ギアはまだまだ多いとは言えず、ULハイク用のギアだからこういう使い方でなければいけないということはなく、使い方やアイデア次第でもっとギアの選択が広がると思う。
実際使ってみて大きな不満はありませんでした。あえて言うなら25L(実際にはもっと大きいと思われる)の容量の割にコンプレッションがそれほど強くないの で極端に荷物を減らすと中で荷物が動いてしまうことがあるので、もう少し小さいサイズ20Lとか18Lとかの選択肢などもあるとランニングを取り入れるようなスタイルにもよりマッチすると思う。



Q: 小野選手なりのMINIの使い方 などございましたら教えてください。

シンプルなだけにアイデア次第で独自のカスタマイズが可能だと思う。
重心が高い反面サイドポケットの位置が高く下ろさずに物を取り出すのが多少大変なため、出来るだけ下ろさずに補給等を行いたいので、ショルダーハーネスに小さいポケットを付けて行動食などを入れ下ろさずに補給出来るようしている。
ザック底のマット用のバンジーコードの部分にマットではなく分割式のポールを収納してザックを下ろすことなくポールの出し入れをしている。




小野選手の今後の活動について 発表出来る事などあればお知らせく ださい。

8月 TJAR(抽選に当たれば)、9月 トル・デ・ジアン(イタリアアオスタ州で開催される200マイル(330キロ)のトレイルランニングレース)。いずれも2回目なので前回以上に楽しめるのではないかと思う。
また、レースに限らずロングトレイルを楽しんで行きたいと思います。 






小野 雅弘

2012年UTMF14位・24時間30分、TJAR4位・6日5時間50分、2013年トルデジアン8位など超長距離のトレイルランニングレースを得意とするが、トレイルランに限らず夏はツェルトやシェラフなどを背負って、2〜3日のファストパッキング、ウルトラライトハイク、冬はスノーボード、スキーなど、シーズンを問わずマウンテンスポーツ全般を楽しんでいる。




小野選手ありがとうございました。実際の所シビアなレースでこのMINIの容量は大きすぎるだろうと思われます。その点は今後のバックパック制作の課題にしていきたいと思います。また、定期的にカスタマーレポートを発表していきたいと思います。(夏目)

HIMALAYA CALLING ふりかえり1 三田正明さんの報告

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山と道ブログ読者のみなさまはじめまして。ライター/フォトグラファーの三田正明と申します。
今回、光栄にも山と道夏目さんからのご指名を受け、これから数回に渡って2014年の6月7日に東京西麻布のCALM & PUNK GALLERYで行われた山と道主催のトークイベント“HIMALLAYA CALLING”のイベントレポートを勤めさせていただきます。実は自分も登壇させていただいたイベントなのでどこまで客観的にお伝えできるか自信がないのですが、どうぞよろしくお願いします。

さて、このブログの読者の方々ならご存知の通り、山と道のお二人がこの春にヒマラヤを旅したことに端を発するこのイベント。お二人が出発前に相談した自分を含む4人のヒマラヤ経験者を招き、それぞれの視点でプレゼンテーションを行うことで「深く大きい」ヒマラヤの魅力を紹介しました。

さらに京都のプラントラボさんにより、ネパールを旅するトレッカーならば一度ならず食べることになるネパールの超名物料理「ダルバート」のケータリングも供され、マサラの香り漂う会場はヒマラヤ一色に染まりました。

個人的にもヒマラヤはこれまでもっとも衝撃を受けた山域であり、ネパール・ヒマラヤならばロッジ文化が定着しているためキャンピング装備を携行しないで身軽に旅ができ、また物価も非常に安いためガイドやポーターを雇わなければ(一般のトレッキング・ルートならば問題なく旅ができると自分は思います)コストの面でもライトウェイトに済むため、是非ハイカーにこそ旅をしてほしいとかねがね思っていました。

今回のプレゼンターの方々はそれぞれが写真家であったりトレッキングガイド経験者であったり映像作家であり、プロフェッショナルな立場でヒマラヤに携わってきたため、スライドショーの内容も非常に内容が濃く、美しい写真も多かったように思います。

それを会場に訪れた人だけでシェアしているのはあまりにももったいない!

というわけで、このアーティクルでは会場に来られなかった人にもイベントを追体験していただきたく、当日のプレゼンテーションの様子をなるべくノーカットでお送りしたいと思います(ダルバートは食べられませんが…)。少々長くはなるかとは思いますが、これから始まる記事がいつかヒマラヤへ行こうという人への旅のヒントや助けになれば幸いです。

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HIMALAYA CALLING  プレゼンテーション♯1「ヘランブー・ランタン・トレック~カトマンズからヒマラヤまで歩く旅~」三田正明

さて、第一回目のイベントレポートは、何を隠そうワタクシ、三田正明のプレゼンテーションから始めさせていただきます。
自分はまだ山を始めて間もない頃にヒマラヤのアンナプルナ山群を訪れて衝撃を受けて以来本格的に山にのめり込み、気がつけばライター/カメラマンの仕事もほぼアウトドア関連専門になった男です。
それからヒマラヤにはエベレスト山域、今回のテーマであるヘランブー・ランタン山域と、数年おきに三度訪れているのですが、他のプレゼンターの方々のように普通の人ではなかなか歩けないようなところを歩いたり、たくさんの場所を知っているわけではありません。
ですが、あえて普通の旅行者目線で、一般的なトレッカーがソロでヒマラヤを歩いたらどんなことを感じるかを、去年の春に歩いたネパールのヘランブーとランタンのトレイルに絡めてお話させていただきました。

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「こんばんは、ライターとカメラマンをしている三田正明と申します。今日は去年の春に2週間弱かけて歩いたヘランブー・ランタン・トレックというトレイルについてお話させていただきます。ヘランブー・ランタンと言ってもまったく知らない方も多いかと思いますので、まずはこの場所について簡単に説明させてください。ヘランブーとランタンはエベレスト街道やアンナプルナ周遊と並ぶネパールの三大人気トレイルのひとつで、それぞれ独立したトレイルなのですが、隣り合っているため繋げて歩く人が多いので一緒くたに語られることが多いトレイルです。」




「まずヘランブーの特徴なのですが、トレイルヘッドがカトマンズに非常に近いため市内から路線バスやタクシーで行けてしまいます。他のトレイルは長距離バスやジープで丸一日かけて行ったり、飛行機を使わなければいけない場合が多いので、これは大きな魅力ですね。やろうと思えばカトマンズの中心部から歩いて行くこともできます。トレイル上にゴサインクンドという湖があるんですがそこはとても美しい場所で、そこへと至る標高4610mのローレビナ・パス越えもこれぞヒマラヤという場所を歩けます。そして歩く人が他の人気トレイルと比べて比較的少ないので、静かなトレイルを楽しむことができます。ですがアップダウンが激しい箇所が多いので、歩くのは少しハードですね。そしてランタンは『世界で一番美しい谷』と言われることもあるきれいな渓谷です。僕は実際に見ていないのですが6月の雨期になると谷中を高山植物が埋め尽くす『花のトレイル』としても知られています。トレイルも比較的ゆるやかで初心者にも歩きやすく、奥まで行って帰っても一週間くらいなので割とイージーに氷河のあるようなヒマラヤの魅力の核心に触れることができます。このふたつを繋げて歩く場合、ローレビナ・パス以南のトレイルのアップダウンが非常に厳しいのでそこを下り基調で歩くため、まずランタンから歩き始めてヘランブーを下るのが基本とされているのですが、僕はカトマンズからヒマラヤまで歩いて行ってみたいなと思い、あえて逆ルートを選びました。実際アップダウンは厳しかったですがヘランブーでは同方向に歩く人がほとんどいなかったので他人にペースを乱されることもなかったし、だんだんヒマラヤの高峰に近づいていくので気分的にも多いに盛り上がり、良い選択だったと思いました。」





 「それで今回なんでヒマラヤに行ったのかというと、実はうちの奥さんがヨガの先生をやっているんですが、インドでヨガ哲学の勉強をしたいと言いまして。その授業が2週間くらいあって、その間子守りをして欲しいと(笑)。奥さんも結婚前にアンナプルナを一緒に歩いた経験があるので、『そのあとネパールに行ってトレッキングすればいいじゃない』と口説かれまして、それで家族でインド~ネパールと全部で1月半の旅に出たんです。だから本当は最初トレッキングにもひとりで行くつもりじゃなくて、息子も連れてランタンへ家族で行く計画だったんですね。でもインド滞在中に息子が食あたりで倒れて入院する騒ぎになって、なんとかネパールまでは来たんですがトレッキングに出発する予定の前々日にやっぱり食あたりになってしまい、衛生状態もさらに悪くなる山の中へ連れていくのは無理だろうと判断しました。そうして奥さんと子供は先に日本へ帰ることになり、急遽ひとりで行くことになったんです。」




「ここが今回のトレイルヘッドになったスンダリジャルという村ですね。カトマンズの外れの山の縁にある村で、東京でいうと高尾山口みたいな場所でしょうか。今回の旅は高尾山から日本アルプスとかまで歩いて行くようなことを思ってもらえるとイメージしやすいかもしれません。そうしていよいよ歩き始めたんですが、いきなり大事件にあってしまったんです。」





「歩き始めて2時間くらい、『ついにヒマラヤへ帰ってきたぜ~!』みたいな気分で、もうウキウキで歩いていたんですけれど、4人組の若いネパーリーとすれ違いました。山の中なのに何故かマスクをしているんです。カトマンズは空気が悪いのでマスクをしている人が多いんですが、『なんで山の中でマスク?』と、変だなとは思ったんです。そのまま歩いていると、横の林をかき分けて何かの動物が全力疾走しているような音が聞こえたんですね。『狩りでもしているのかな?』と思っていると、いきなり首の後ろに拳二つぶんくらいの石がぶつけれられて、『何だ!?』と思ってクラクラしながら振り返ると、さっきの四人組のうちの三人が、ネパールの人がよく持っているグルカナイフという短刀を出して、迫ってきたんです。あとのひとりが林の中から石を投げてきて、つまり狩られているのは自分だったんです。『有り金とカメラを寄越せ、殺すぞ!』と脅されて、なんだかおバカな主人公が旅に出ていきなり身ぐるみ剥がされるみたいな、B級映画の主人公になったような気分でした(笑)。ネパールの山岳民はめちゃくちゃ歩くの早いし、こちらは10キロ程度は荷物を背負っているし、前後1時間くらいは村のない山の中で、逃げられるわけないんです。武器なんかもちろん持っていないのでとりあえずトレッキング・ポールを相手に突きつけて、近寄らせないようにしながら立ち止まらずに後ずさりしながら、とにかく言いなりになっちゃヤバいと思って、なんとか会話の主導権を握ろうとしました。『カメラはやれない。いくら欲しいのか言ってみろ!』『全部だ!』『ノー! 1000ならやるぞ』『ドルか?』『ルピーだ!』みたいなやりとりをして(笑)。とにかく『助けて! 殺される!』って叫び続けたんです。向こうもプロの山賊じゃなくチンピラだったので結構びびっていたみたいで『叫ぶな! 叫ぶな!』と言ってました。とにかく歩きながら財布から1000ルピー取り出して、投げると同時に走って逃げたんです。見晴らしの良い場所で後ろを振り返ると誰も追ってきてなかったんで、心の底からほっとしました。」




 「でもその瞬間、『彼らは自分に何かのメッセージを授けるために現れた天使だったのかな?』と思ったんです。インドで自分も奥さんと一緒にヨガ哲学を少しかじった影響だと思うんですが(笑)。ヨガ哲学によるとこの世界に偶然はなくて、すべて起こるべくして起こっているというんですね。そして起こることにはすべてサインが隠されていると。よく『カルマの法則』とか言われるやつなんですけれど。だからこんな旅の最初にこういう目に会うってのは、明らかに何かのメッセージだよなって思ったんですね。自分の甘さにお灸を据えられた気がました。やっぱりこんな場所にまだ三歳にもなっていない子供を連れてくるべきじゃなかったんだと。実は子連れ旅の装備も充分じゃなくて、子供用の背負子を人に借りて持っていってたんですが、それが自分に全然サイズがあっていないことがネパールに行ってから発覚したりして。見通しも甘かったし、準備も足りていなかった。奥さんにも『山賊いるかもしれないから気をつけてね』なんて言われてたんですけれど、『そんなのいないよ~』って笑い飛ばしていたりして(笑)、もうヒマラヤ歩くのは三回目だし、どんな場所かはわかっているつもりだったんです。でも後で地元の人に事件の話をすると、『午後4時以降にひとりで歩いちゃいけない』とみんなに言われて、そんなこともわかっていなかった。いきなりそれを思い知らされたというか。」




「まあそんな感じで歩き始めて、最初はやっぱりアップダウンが激しくて、春だと靄がかかっていてヒマラヤも見えないので、最初の数日はあまり楽しくないですね。それで三日目くらいで、ようやくこの写真みたいに「これぞヒマラヤ!」という景色がどどーん見える場所までやってきました。いよいよ本当のヒマラヤの旅が始まる瞬間ですね。この山がヘランブー山脈で、ローレビーナパスはこの左の鞍部を越えていきます。」



 

「ヘランブー一帯の宿の部屋はだいたいこんな感じです。全部手作りで、壁もベニヤ板一枚とかなので隣の部屋に人がいると声が筒抜けなんで、僕はなるべく他に人のいなそうな宿を選んで泊まっていました。ともあれこんな部屋ならまだマシな方で、なかには窓のない牢獄のような部屋の場合もあります。」



 

「そしていよいよローレビナ・パスを越えていきます。前日泊まっていた場所から900mくらい標高を上げるのですが、3700mから4600mくらいまで登るので結構大変です。とにかく息が切れて、心臓の音がすぐ耳の側で鳴っているのが聞こえますね。この時は中腹くらいで頂上が見えた気がして、『意外と楽勝だったな』なんて思ったんですけれど、そこまで登ってみたら頂上はまだ200mくらい上で、心がパキッと折れました(笑)。そこからは10mくらい登っては息を整えるような感じで登っていきました。」



 

「そうして頂上に着いたらこんな景色が広がっていました。ローレビーナの峠の上はゴサイクンドまで100個以上の湖が点在する幻想的な雰囲気の場所です。この時は誰も他に歩いていなくて、こんな世界を独り占めできる幸せを噛み締めながら歩きました。」



 

「そこから1時間ほど下るとゴサインクンドというヘランブー・トレックの目玉の湖に到着します。まさに「雲上の聖なる湖」という雰囲気で、実際ヒンドゥー教の聖地なんですが、確かに『ここが聖地じゃなかったらどこが聖地なんだよ!?』っていう場所です。ここは物価も高いし宿もボロくて狭いんですけど、そんなの問題じゃないくらい最高に美しい場所でした。」



 

「いよいよヘランブーからランタン谷へと下っていきます。ゴサインクンドをから1時間ほど行くとこんな景色が広がります。アンナプルナやダウラギリが一望できますね。そしてこれがランタン・ヒマールの主峰ランタン・リルン。ランタントレックはこの山の足下の谷をつめて行きます。」




「ここから少し下ると数日ぶりに森林限界の下に降りてきて、シャクナゲが満開になりました。シャクナゲはヒマラヤの名物で、ネパールの国花です。アンナプルナのあたりのシャクナゲはもっと色が濃いのですが、ここらへんのは薄いピンク色でとても綺麗ですね。一口にヒマラヤと言っても、エベレストやアンナプルナとこのランタン・ヘランブーではそれぞれ違う魅力があります。ランタンは女性的というか、しっとりとしたみずみずしい美しさがある場所でした。」




 

「そうしてランタン谷まで降りてくると人がぐっと増えて、メジャーなトレイルに来たことを感じました。ランタン谷はこんな風になだらかな広い峡谷をランタン・コーラという河沿いに登ってゆきます。」



 

「ふたたび標高を上げて森林限界線を越えると、また景色は荘厳な感じになってきます。このランタン谷の奥はチベット人たちが住むエリアで、これはその中心地のランタン村です。ここはチベットの国が無くなっちゃったときに亡命してきたチベット人たちが作った村で、標高が高くて畑仕事ができないので、おそらくヤクや羊を飼って細々と暮らしてたんだと思うんですが、こうしてトレッキングが産業として大きくなった結果ここにもロッジが立ち並ぶようになり、このへんのチベット人はまあまあ潤っているようです。」



「チベット人ってダライ・ラマのイメージがあって『信心深いピースフルな人たち』みたいな印象があると思うんですけれど、実際に会ってみると結構アグレッシブで、押しの強い人たちが多いです。宿の客引きもネパール人はあまりしないんですけれど、チベット人は結構強引で、インド人に近いというか(笑)。まあそんなふうにネパール人とチベット人の気質の違いを感じられるとこもランタンの面白い所です。」




 

「このランタン村から先はマニ石というお経の彫られた石がトレイルのわきにずーっと並べられています。故郷を失ってこんな山の奥に住み着いたチベット人たちが、ここを第二の故郷にしようと並々ならぬ努力をして逞しく生きていることを考えると、ちょっと泣けてきますね。」



 

「ここがランタン・トレックの終点のキャンジン・ゴンパという村です。村と言ってもロッジしかありませんが。ここまで来るとかなり地の果てまで来たような気分で、大都会のカトマンズからこんな場所まで歩いてきたことを考えると感慨もひとしおでした。」



 

「ランタン・トレックを歩く人はキャンジン・ゴンパまで来ると、この丸で囲ってあるツェルゴ・リーという山へ登るかその隣のキャンジン・リーという山に登るか、もしくはここから往復丸一日かけてラングシシャ・カーカという氷河の終点まで行くか、大抵2泊~3泊します。それで僕はとりあえずラングシシャ・カーカへ行ってみました。ここはガイドやポーターなしのソロ・トレッカーとして行ける一番奥地で、旅の間もずっとここを目指して歩いていたんです。」



 

「キャンジン・ゴンパから先はまったく人の住んでいないエリアなんで、ラングシシャ・カーカへ行ったらウィルダネスな気分を味わえるんじゃないかと思っていたんですね。でも、どこまで行っても放牧されているヤク(ヒマラヤの高地に住む毛長牛)がいて、草原で休もうにもどこもかしこもヤクの糞だらけでなかなか休めない。ヒマラヤと言うと手つかずの大自然みたいなイメージを持つ人も多いと思うんですが実はそうでもなくて、山の上にでも行かない限り谷や平原にはどこまで行っても人の手が入っています。で、半日かけて終着点までたどり着き、たしかに景色は素晴らしかったんですが『旅の終着点はまだここじゃないな』という気がして、次の日にツェルゴー・リーに登ることにしました。」



 

「ツェルゴー・リーはキャンジン・ゴンパの裏手に聳えている4984mの山で、この山を登るとその向こうはチベットです。谷を登ってくる間ずっとこの山が見えていてるランタンのシンボル的存在で、谷のチベット人たちが聖山としている山でもあります。ここもキャンジン・ゴンパから900mくらい登ります。ローレビーナ・パスで心が折れた経験があったので(笑)、なるべく先を考えず淡々と登ることだけを心がけました。でもこの頃には高度順応ができていたので、思ったよりもサクサクと登れましたね。でもまわりの人はみんな息も絶え絶えで登っていたので、自分も先にランタンへ来てここへ登ってたらけっこう大変だったかもしれません。」



 

「で、やっぱり標高をあげるとぐんぐん景色も変わってきて、気持ちもどんどん上がりました。先に登っていた人をほとんど追い越して、山の向こう側が見えるあたりまで来ると完全にナチュラルハイというか、『まさにここがこの旅の終着点だ!』という気持ちになり(笑)。頂上に着くと幸運にも誰もいなくて、素晴らしい景色と気分をひとりで満喫することができました。ランタンは谷間なのでヒマラヤのパノラマはなかなか見えないのですが、このツェルゴ・リーの上まで来るとやっとヒマラヤの6000~7000m峰が立ち並ぶパノラマを間近で見ることができます。」



 

「日本の山も外国の山もそれぞれの良さがあるし、基本的には山に優劣はないと思うんですが、でもやっぱりヒマラヤは別格だと思います。ヒマラヤ以外の山を見るとき、僕は『神が作った素晴らしい創造物』みたいなことを感じるんですけれど、ヒマラヤは『神そのもの』みたいに感じるんです。まさに神に対面しているような気分というか。僕はやっと自分の神様にまた会えて、非常に満足でした。で、20分くらいひとりで感慨に浸っていたんですけれど、僕の次にガイド付きのイギリス人の女の子二人組が上がってきたんですね。すると何故かその子たちはするするっと僕の隣に座ってきて、『コングラッチュレーション! イッツ・ワンダフル!』みたいに声を掛け合って、『どこから来たの?』『ロンドン』『WOW! ロンドンの音楽大好きだよ』『東京もクールね』みたいな他愛もない会話をしていたんですが(笑)、そしたらその子たちが『私たちのガイドがランチを持ってきているんだけど、食べきれないから一緒に食べましょ♪』なんて言うんです。ツェルゴ・リーは上り下りに6~7時間かかるんでみんなランチを持ってくるんですけど、僕は一人だったんでビスケットとナッツくらいしか持っていなかったんですね。この旅の終着点までひとりでやってきたら女の子が現れて、お昼ご飯までご馳走してくれるなんて、なんて幸運なんだろうと(笑)。まるで自分の旅の終わりを祝うためにここに現れてくれたみたいで。で、この子たちも天使だと思ったんですね。インドでヨガ哲学を勉強したり、子供が倒れたり強盗に襲われたりいろいろな紆余曲折があってここまで辿り着いて、でもすべて起こるべくして起こったし、これで良かったんだって。勝手な思い込みかもしれませんが(笑)。でも、僕は旅の醍醐味ってこういう瞬間にあると思うんです。『この旅はここに来るためにある旅だったんだ』と思える瞬間というか。そのサインとして彼女たちが現れたような気がしました。まあ、そんな感じで強盗に始まりイギリス人の女の子に終わる、二組の天使に出会った旅でした(笑)。」





三田正明 プロフィール
カメラマン/ライター。

雑誌スペクテイターを始めアウトドア雑誌等で旅やハイキングに関する多くの記事を執筆。TRAIL CULTURAL WEBMAGAZINE TRAILSではエディターも勤める。2007年からこれまでにヒマラヤへは3回訪れている。

HIMALAYA CALLING ふりかえり2 「地球の屋根に暮らす人々との旅~四人のライ族との山旅」根本秀嗣

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今回もこの山と道ブログをお借りして、ライター/カメラマンの三田正明が引き続き2014年6月7日に行われた 山と道主催の“HIMALAYA CALLING"イベントレポートをお送りします。
ふたり目のプレゼンター、根本秀嗣さんはフリーランスの山岳ガイドで、グレートヒマラヤトレイル(2011年に正 式開通したネパール東部のカンチェンジュンガから西部のフムラまでを1700kmに渡って繫ぐロングトレイル)を日 本に紹介する活動もされています。そんな山岳経験も豊富な根本さんの今回のプレゼンテーションは、パハールと呼ばれるネパールの中間丘陵地帯からヒマールと呼ばれる山岳地帯までを、パハールに住むライ族の青年たちと36日間に渡って歩いた旅の記録です。
現地の人々にとけ込みながら標高数千mの峠をいくつも越え、亜熱帯のジャングルから標高6189mのアイランドピ ークにまで至る根本さんの旅は誰にでもできるものではありませんが、誰しも「いつかはこんな旅をしてみたい」と思わせるに充分なプレゼンテーションでした。


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「こんばんは、根本秀嗣と申します。今回は私が2年前から計画をして、去年36日間に渡ってしてきました、ネパ ールの田舎のほうのエリアから入ってその土地に根ざして生きている四人の若者にサポートされながら6000m級 の山をひとつ登ってきた旅を、ひとつのヒマラヤの旅のスタイルの例としてお話させていただきます。」




「ネパールではだいたい標高2000mから4000mの中間丘陵帯をパハールと呼びます。緑も豊かで水も多く流れていて、隅々まで段々畑が作られて多くの人が住んでいるところ。人々は毎日毎日お百姓仕事に精をだしていますが別に物を売ってどうこうではなく、生産物は自分たちで消費するために毎日畑仕事をして暮らしている、そういうところです。日本にもかつてそういう風土があったんだろうなという景色を、今も見れる場所です。私の旅はこのパハールの地帯を抜けて氷河や高い峰のあるヒマールと呼ばれる高山帯へ入っていって山登りをする、そういうスタイルで行いました。」





「カトマンズから国内線でツムリンタールという街まで空路で行き、ここが旅の出発点になりました。今回の旅はそこからライ族という、この旅のスタッフをしてくれた人たちが住んでいる山を経由して、シプトンパスという、外国人で初めてここを通ったエリック・シプトンという英国人の冒険家の名前のついた峠を越え、アッパーバルン氷河を辿ってマカルーの足下へ入って行き、エベレストの方へ6000mの峠を越えて入っていくという計画でした。です が去年はすごい大雪が降ってしまい、どの隊もハイパス(高所の峠)を越えることができなかったんですね。私たちも最前線まで踏み込んで見てきたんですが、やはり引き返すことになり、ぐるっと国立公園の周囲を2週間かけて迂回してエベレストの方まで行き、アイランドピークという6000m級の山をひとつ登って、そこからずっと歩いて定期バスの出ているジリという街まで歩いて36日間の旅を終えました。」





「ここがカトマンズから飛んだ飛行機で下ろされた町、ツムリンタールです。マカルーバルン地域の玄関口になる町ですね。後ろに映っているのが私が泊まったホテル・カンチェンジェンガという宿ですが、ホテルと言うよりも民宿のような宿ですね。まずツムリンタールからは4年ほど間にできた道路で、35kmほど奥のヌンという村までジープで行きます。ただモンスーンが終わったばかりでドロドロのぬかるみ道で、田んぼを耕しながら走っているような状態です。だいたい8時間くらい、常に車が30度くらい左右に傾いているような状態でした。満タンにして行った んですが、35キロ走っただけでディーゼル(軽油)が半分になっていました。」



 「彼らが今回の旅の仲間です。全員ライ族で、みんな親戚関係ですね。一番右側が今回の親方のプラカス。年は僕と同じ39歳ですね。その左がライマン。33歳で、彼は今回結婚式を挙げるタイミングで、カトマンズから僕がチャ ーターしたジープで嫁さんを連れて帰ってきました(笑)。その左がマイラ。プラカスとライマンの甥っ子にあたる21歳です。このマイラ君はひょうきん者で、でたらめな日本語で笑わせてくれました。どんな危険な局面でも笑いながら突っ込んでいく鉄砲玉みたいな奴です。そして左端がジバン。最年少の17歳で、彼だけクリスチャンでした。このエリアは仏教徒が多いんですが、若い世代にはキリス ト教が流行っているようで、改宗している若者が多いようです。」



「これがライマンの結婚式の様子です。親族が一同に彼の実家に集まって繰り広げられて行くんですが、ちょっと変 わった方法でやるんですね。二匹の小鳥が運ばれてきて、それを床に叩き付けて殺すんです。そして首を手で引きち ぎって、生き血を皿に二匹分たらし込んで......その後は酒に酔っぱらってて覚えてないんですが(笑)、そんなことをしていました。でも、彼らは本来動物をなるべく殺さないようにしている仏教徒なんですね。そこに仏教よりもっ と古くからの信仰も根付いていて、そのふたつが混交したようなものを彼らは信じているのかなと思いました。」





「そしていよいよ歩き旅がスタートしたのですが、最初はまだまだ蒸し暑い亜熱帯の森です。歩いて行くと段々畑の 棚田や畑が非常に美しく見えてきます。そしてよくあるのがマニ塚というものなんですが、チベット仏教のエリアで は非常によく見かけるものです。仏教徒はこれを左周りで歩いてゆきます。そしてこのマニ塚の向こうに見える峠が シプトンパス。これからこの峠を越えてゆくところです。




「歩いてゆくと峠などにチョウタラと呼ばれる休み場所がよくあります。非常に気持ちの良い場所なのですが、聞い た話では村の人が死んで1~2年くらいが過ぎた後に石を積み上げてこういう場所を作るそうです。そして死んだ人 の生き様が刻まれた墓碑銘のような石盤を作ってそこにはめ込んで、そこを歩くたびに故人を忍ぶそうです。」




「これもよく見にする風景で、ヒエの畑の向こうに仮小屋と飼われている水牛がいますね。水牛小屋のことを向こうでゴトと言います。そしてヒエのことをコド。このヒエは煎った後に粉に挽いて、お茶なんかを混ぜて粘土状にして 食べます。日本でも昔はそのようなものが食べられていましたが、ネパールではいまだに主食として食べられています。」



「そしていよいよ峠を越えていくんですが、シプトンパスは3つの峠で構成されています。新雪が降り積もっていて、すこし歩きにくかったですね。






「シプトンパスを越えバルン・コーラという谷に下り、この奥へと進んでいくと、すごくかっこいい三角形をした山 が見えてきます。この山は特に名前はないのですが、絶対に登ってはいけない神の山とされています。ですが数年前はまだ規制が緩かったらしく、日本の登山隊が登頂を試みたのですが、全員遭難して帰ってこなかったそうです。それ以来は絶対に入山禁止の山になっています。その奥に行くとマカルーの足下へと入っていきます。昔からマカルーの足下付近はヒマラヤのヨセミテ渓谷と欧米の人たちが呼んできたところです。こういう絶壁が峡谷を取り囲んでいて、アメリカのヨセミテ渓谷と良く似た景観の場所です。ここは昔チベットから人々が交易のため山を越えてやってきたところですね。」



「ここからふたたび標高を上げて、アッパーバルン氷河へと入って行きます。ふだんはここはまったく雪のない場所らしいのですが、ごらんの通り雪に覆われていました。やはり去年は異常気象だったようです。」




「イーストコルという場所まで来た時点で非常に厳しいラッセルが始まりました。このまま順調に行けば標高620 0mの峠をふたつ、それから標高5800mの非常に厳しいロープで懸垂下降しなくてなはならない峠が出てくるのですが、それを全部越えるのに5日間くらいのキャンプが必要になってくるんです。ですがこれだけの大雪で、100m進むのに一時間かかるほどでした。ここを越えて行くのはまったく現実感がないので、グルーッと回って反対側 へアプローチすることになりました。それには2週間はかかるだろうと思われたのですが、予定表を見ると2週間は余計にかかっても大丈夫だろうと判断つきましたので、ふたたびシプトンパスを越え、ライ族の村へと帰っていきました。」



「これは帰りのシプトンパスなのですが、最初には出てこなかったカロポカリ(黒い池)という湖です。ここはこの エリア一帯のシェルパ族たちの聖地とされている場所で、祈祷場がありました。こういう場所に来ると親方のプラカスは持ってきたお線香を上げて、タルチョというネパールに行くと良く見かける経文旗を奉納して、みんなの旅の安全を祈っていました。彼は敬虔な仏教徒なので、こういう場所に来ると毎回毎回お祈りをしていました。そのたびに彼の荷物からは『まだ出てくるの?』というくらいタルチョの巻物とお線香が出てくるんです(笑)。プラカスは常にガイドの仕方を若い二人に仕込んでいました。常に罵倒している感じですね(笑)。でもそうやって育っていくんだなと思いました。」

 
「これは魚を穫るための準備しているところです。ときどきそうやって漁労もしたりして、動物性たんぱく質を確保していくんですが、梱包テープとテグスのようなもので予め作ってあった刺し網をほぐして準備するんですね。そして川に網を仕掛けに行くのですが、非常にデンジャラスな、登りでもかなり危険なグレードにあたる場所を裸足でロープも何もなしに突っ込んで行きます。僕もついて行きましたけど、クレイジーだなと思いました。本当に彼らの食に対する執念はすごいです。そうして穫れた魚をシンプルにぶった切って、そのへんで採れたワラビや菜っ葉を入れてぶっかけ飯にするような、こんな食事が多いですね。」



「これは下の方をぐるっと迂回してエベレストの方に向かっていく途中、大きな峠を三つ越えて行くんですが、そのひとつ目の峠の上に立っている素朴な宿です。向こうではバッティと言いますが、かまどを借りて自分で調理して、 寝るのも寝袋です。ひとつひとつの峠がすごく巨大で、日本アルプスくらいの高さがようやくふもとの丘ひとつぶんくらいになるんですね。そして丘ひとつひとつが日本アルプスの山のサイズくらいになるので、まず登りで2000m 登って下り2500mくらい降りて、また2000m登ってくだり1500m降りるとか。それを連続で毎日こなして行くような旅です。本当にヒマラヤは裾の方も大きいです。」




「それでぐるっと2週間くらいかけてまわって、最後にイムジャ・ツェという山......『アイランドピーク』という名前の方が有名かもしれませんね......に登りました。当初マカルーバルン地域から峠を越えて来るとちょうどこの山の足元に至り、自然に取り付く予定でしたが大雪でそれができませんでしたので、ずいぶんと遠回りしてアプローチすることになった訳です。登山料払い込んでますし(笑)。登らないわけにはいかない。」




「ここは親方のプラカスと二人で登りました。気温は最低でマイナス10°Cほど。アタックには着込んで出かけたので寒さでつらい思いはなく、雪面のコンディションもアイゼンの爪がよく効いて最高で、サクサク登りました。ちょうどご来光の時間に登ったのですが、5500mのハイキャンプから頂上6200mくらいまで3時間くらいでした。2週間前にはマカルーバルン地域のどん詰まり5450mまで行ってきたので身体も楽に動きましたね。かえっ て少し薄着のプラカスが時々寒そうにしてて...。アタックを終えて下りは手早く1時間40分ほどでハイキャンプに 帰着。そこで朝8時位でしたので、途中のバッティでアタック用に買い込んでおいたトマト風味マカロニパスタ、サ ラミ入りをプラカスと一緒にたらふく食べました。プラカスは辛い辛い唐辛子を大量に入れてすんごく刺激的な味付け。火を吐きそうな辛さでした。彼はよっぽど寒さを感じていたんだな~と。アイランドピークはある程度有名ですが、こちらとしては初めて登った山でそれなりに新鮮でした。とはいえ切り立った岩稜、部分的に複雑な地形、クレバス帯、200m近く立ちはだかる頂上直下の氷雪壁など、舐めてかかっては危険な山です。晴れ渡った桜色の朝焼 け、神々しいクンブ-の巨峰群とマカルー、眼下に見下ろす氷河湖イムジャ・ツォ...。頂上では透き通った時間を過ごせました。2週間かけ回ってきただけの甲斐はあったかも知れません。そうしてソルクンブーというエリアのカト マンズまでバスで8時間で行けるジリという村まで降りてきて、36日間の旅を終えました。そのような泥臭い旅をしてきた、という報告でした。ありがとうございました。」








根本 秀嗣 プロフィール

1975 茨城県常陸大宮市 (合併前当時は那珂郡山方町) 生まれ
2001 仁寿峰クライミングトリップ韓国
2002 ナリ 6194m   ェストバットレスルート (アラスカ山脈/アメリカ)
2003 レイドゴロワーズ ルギス大会 リタイ
2007 チャコ 6704m 南東稜 (リーヒマール/ネパール
2007 チュルーェスト 6419m (チュルーヒマール/ネパール
2007 アンナプルナサーキットからアッパームスタンへの継続トレックネパール
2011 ーズ 31ッチ ビッグォールクライミング  (エルキャピタン/ヨセミテ/アメリカ
2013 マカルー地域からソルクンブー地域への継続トレックネパール
2013 イムジャツェ 6189m  (クンブーヒマール/ネパール
2014 カンチェンジュンガ地域グレートヒマラヤトレイルと6000m峰の登山を予

本山岳ガイド協会認定ガイ
産業ロープアクセス同業者協会 (IRATA) 認定 LEVEL1 テクニシャ
MEDIC First Aid 認定 BasicPlus ファーストレスポンダー




TEXT BY



三田正明 プロフィール
カメラマン/ライター。
雑誌スペクテイターを始めアウトドア雑誌等で旅やハイキングに関する多くの記事を執筆。TRAIL CULTURAL WEBMAGAZINE TRAILSではエディターも勤める。2007年からこれまでにヒマラヤへは3回訪れている。新潮社ROLaでエッセイスト/漫画家のしまおまほさんと『チルアウトドア』連載中。


HIMALAYA CALLING ふりかえり3 「ザンスカール 氷の回廊を行く冬の旅」庄司康治

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 第三回目となるHIMALAYA CALLINGイベントレポート。今回もこの山と道ブログの場をお借りして、ライター/カメラマンの三田正明がお送りします。

HIMALAYA CALLINGのプレゼンテーションの最後を飾ったのは、映像作家の庄司康治さん。
早稲田大学探検部OBの庄司さんは最初のアフガン戦争の時代にゲリラのムジャヒディンたちとアフガニスタン・パキスタンの国境を越えたり、ネパールからチベットへと二頭のヤク(ヒマラヤ高地に住む毛長牛)と共に越え数ヶ月の旅をしたり、カトマンズからインドのレーまで1000kmを有に越える距離を歩いたり、ご自身言われるところの「Fanatic(狂信的・熱狂的)な旅」をし、ドキュメンタリー映像作家としてもヒマラヤの村や文化、野生動物や自然についての映像・番組制作に携われてこられた旅人の大先輩。
そんな信じられないような旅の体験を交えながらお話しいただいた今回のプレゼンテーションのメイン・テーマは、ヒマラヤ西方、インド最北部に位置するラダックとザンスカール。そこはインドとはいえモンゴロイドの人々が住むチベット文化圏で、中国併合後徹底的に文化破壊されたチベット本国よりも古く伝統的なチベット文化を色濃く残す場所として知られています。
厳しい環境で逞しく暮らす人々の話は、雨の西麻布に高地の乾いた風を運んでくれるようでした。


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「僕はFanaticな旅が好きで、これまで1000kmを超えるヒマラヤの旅は5~6回やりました。僕は好きなのがネパールやアフガニスタン、インドやパキスタン、ブータンなどの古くからある交易路を辿ることや、雪豹(ヒマラヤの山岳地帯に住む幻の動物)などの動物を見に行くことで、そういう旅のひとつで今日はヒマラヤ西部にある、自分のもうひとつのホームグラウンドと言えるインドのラダックとザンスカールの話をします。」






「夏。 今では状況が違うと思いますが、ラダック・ザンスカールはネパールと違ってロッジがないので、荷物は全部自分で担ぐか、キャラバンに便乗して行きます。ネパールと違うのは、木がほとんど生えていないんですね。それに大きい山もあまり見えません。ですがここはインドなのですがチベット文化圏で、中国のチベットよりも伝統的な古いチベット文化がよく残っているところが魅力です。」



 
「収穫の時期。これは青麦の一種ですが、これを粉にして食べるのが主食です。この少年の写真の後ろに見える家の二階の部屋に、僕は行くといつも泊めさせてもらっていました。おばあさんが脱穀していますね。」











「お坊さんたちがとある儀式のために集まってきます。これはザンスカールのリンチェという村のお寺ですね。標高4200mくらいの丘にへばりつくようにして建っています。この村のドキュメンタリー番組を作ったとき村のおじいちゃん、おばあちゃんと約束して、次に訪れるときにそのとき撮影した映像を見せるためにバンコクで14インチのテレビとビデオデッキを買って、馬に乗せて運んでいきました。そのとき自分で撮影した番組以外に持って行ったのが、クジラのドキュメンタリーと映画の『ジュラシックパーク』と『白雪姫』。それまで海を見たことがない人がほとんどなので、クジラのドキュメンターでは『海ってのはこんな化け物がいるのか!』と。そのあとに『ジュラシックパーク』を見たら、アメリカには恐竜がいると本気で信じてしまった(笑)。そして最後は『白雪姫』 を見て、みんなで『ハイホー』をして(笑)、ハッピーな時間を過ごしました。」








「秋。そうこうしているうちに、木は無いですが葉っぱは色づいてきます。ここにジグザグに走っているのは家畜を連れていく生活道ですね。ヒマラヤにはメインの交易路もありますが、こういうふうに 生活道が無数に通っているので、組み合わせでいかようにも旅をすることができます。」











「秋から季節は冬に変わります。冬になるとラダック・ザンスカールはお祭りがいっぱいあります。最近でこそ旅行者もたくさん訪れますが、この時代は非常に少なかった。これはレーという街のメインストリートで五体投地(仏教で最上級の敬意を表す礼法)をしている人たちですね。」


 






「リンチェの冬の子供たちの通学路です。丘の向こうに見える家に帰るところですね。近そうに見えますが、向こうまでは2時間くらいかかります。これが学校ですが、もうほとんど青空学校ですね。ノートも普及してきていますが、木の板をノート代わりにして、泥のインクで字を書いたり消したりして勉強しています。」

 









「冬の間凍ったザンスカール川の上を、村の人たちは交易の旅に出ます。夏の間は畑仕事をして、冬になると自分たちの村で採れたバターとかチーズを現金や生活物資に変えに行くんです。夏の間は山道を通って5日から一週間かかる場所へ、冬の間は凍った川の上を行くと2~3日で行くことができます。村の人たちはここを年1~2回往復して、自分の村の物資を生活物資に変えるんですね。」










「寝る場所は川沿いにある段丘の洞窟です。ここは何百年も使われてきた洞窟で、たき火の灰が何十センチも積もっています。ここは木が少ないところなので薪をどうするかというと、午後2時、遅くとも三時くらいには1日の行程を切り上げて、細い沢筋を2時間くらい登っていくと意外と細い木が生えていて、そこから背負って集めてきます。洞窟でキャンプしている間に水が流れてくると停滞しなくちゃならなくなって、洞窟の中で何日間も停滞したこともあります。」

 

 All photos:  ©庄司康治 









「僕はこの冬の道を13往復と2回の片道を行ったことがあるんですが、あえてこの洞窟の中で一ヶ月くらい過ごして、雪豹が出るのをずっと待って撮影していたこともあります。これは雪豹の足跡ですね。こちらの写真は雪豹がアイベックス(山岳地帯に住む野生のヤギ)を襲って食べた後です。僕が雪豹に出会ったのは5回くらいあって、4回はこのエリアで、1回はネパールで。1回は3メートルない距離で見ることができました。その時は偶然動画におさめることができて、 NHKの番組で流すことができました。最初に出会ったとき、雪豹はアイベックスを対岸で狩っていたんですが、豆粒みたいに小さくしか見えませんでした。そこまで行くには半日くらいかかるんですけれど、とにかくお腹が減っていたんで、一緒にいたラダックの仲間と取りに行って、雪豹の食べ残しを半分もらって焼き肉パーティをしました(笑)。」









「これからヒマラヤ行かれる人は、みなさんそれぞれテーマを持って行くといいと思います。一週間で行ける旅、10日で行ける旅もたくさんあります。花が好きな人はさっき見たようにシャクナゲの谷だとか、エーデルワイスが満開の谷だとか、ブルーポピーでいっぱいの谷だとか。釣りが好きな人は釣り竿を持って行くのもいいですね。ネパールは鯉化の魚が多いんですけれど、ブータンなんかは昔イギリス人がトラウトを放流したので、入れ食い状態で釣れます。温泉好きな人は実はヒマラヤには温泉もそこら中にあります。僕が個人的に好きなのはカトマンズ盆地のあぜ道を歩くトレッキングで、カトマンズからポカラというネパール第二の都市までは飛行機なら30分、車で5~6時間なんですが、その車道の ちょっと北側に古い交易路があって、これを1週間くらいかけて歩くのもすごく楽しいです。最近は家や道路がずいぶん増えて畑や田んぼは少なくなりましたけれど、カトマンドゥ盆地のあぜ道を歩くのはとても素敵です。そんな風にアイデアを駆使して、みなさんならではの旅をしてくれれば非常に楽しいかなと思います。今日はありがとうございました。」




 



庄司康治 プロフィール
映像作家、早稲田大学探検部OB
アフガニスタン・ワハン回廊、プラマプトラ川屈曲点、ネパール・ドルポ、ブータン・スノーマントレック…などの徒歩の旅。
エベレスト、アンナプルナ、アマダブラム、ニルギリ、シシャパンマ…などへのアルパインクライミング。
ヒマラヤの村や文化の映像制作。



TEXT BY



三田正明 プロフィール
カメラマン/ライター。

雑誌スペクテイターを始めアウトドア雑誌等で旅やハイキングに関する多くの記事を執筆。TRAIL CULTURAL WEBMAGAZINE TRAILSではエディターも勤める。2007年からこれまでにヒマラヤへは3回訪れている。


ヒマラヤコーリング Q&A

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イベントを開催してから2月程経過しました。数回に分けてイベントの振り返りレポートをさせていただきました。(三田さんありがとうございます!)実際はもっと濃く長い話が会場では流れましたが、どんな内容だったのか少しは理解いただけたのではないかと思います。イベントでは時間が押してしまい当日にスピーカーの方々とお客様とのQ&Aを実施する事が出来ませんでした。お客様からいただいた質問事項に対して時間がたってしまいましたが、ここにQ&Aを掲載させていただく事に致します。


Q&Aにお答えいただいたのはイベントに参加いただいた三田正明さん、根本 秀嗣さん、庄司康治さんになります。それぞれのお名前とイベントレポートをリンクさせていただきます。

質問を送ってくださった参加者の皆様ありがとうございました。
おまたせいたしました。





Q1.
1週間程度の休みでもヒマラヤトレッキングを体験する事は出来ますか?
またお勧めのコースがあれば教えてください。


A :三田正明さん

できます! ヒマラヤの麓を巡る数日間のトレイルもたくさんあります。ですが、それだとヒマラヤを遠くから眺めるだけでになってしまうと思うので、お薦めなのはアンナプルナ・ベースキャンプ・トレック。ポカラから4~5日で8000m峰アンナプルナのBCまで行けます。間近から仰ぎ見るアンナプルナ、マチャプチャレは本当に圧巻です。


それにランタン・トレックも一週間程度で往復できるのでお薦め。標高4900mのツェルゴ・リーからの眺めは最高です。ともあれ、どちらも歩く日程だけで1週間はかかるので、移動日なども含めるとできれば最低10日ほどの休みが欲しいところでしょうか。 


A:根本 秀嗣さん
カトマンズの市場や寺院見学、世界遺産訪問、はたまたブラブラ歩きなどの魅惑的な行程も最低1日位は組みいれたいですね!
・歩きで行ける、カトマンズ盆地から最短のエリア、ランタン&ヘランブ。
・国内線飛行機で往復する、ポカラからアンナプルナ南部の展望台ゴラパニ峠方面、またはムスタンの入口であるジョムソンからロワームスタンまたはヒンドゥー教の聖地ムクティナートの街などなど。(根本)


A:庄司康治 さん
交通機関の情報収集と、バックアッププランをしっかり立ててください。そうすれば、1週間でも充実したヒマラヤを体験できると思います。

ゴレパニ峠(プーンヒル・ネパール)
 ダウラギリの最高の展望。帰路、マイナーなルートを辿り、トレッキングマップにはない村々を訪ねる。温泉!

チョモランマ・ベースキャンプ(チベット)
 エベレスト北面のベースキャンプ。必見です!

パロ谷(ブータン)
 タクツアン僧院など、歩いて回る、カルチュアルトレック
豊かな文化!

カトマンズ盆地周回トレック(ネパール)
 近年、トレランにも人気。盆地のあぜ道トレックも素晴らしい!
秋の収穫期は美しく、祭も多い!

カトマンズ~ポカラ旧街道(ネパール)
 いにしえの交易路。今でもチベット方面からのキャラバンに出会う!
昔の登山隊はこのルートを辿りポカラまで歩きました。

ツロブギン峠(アンナプルナ・ネパール)
 アンナプルナ北面ベースキャンプへの峠
ダウラギリとアンナプルナの素晴らしい展望キャンプ地!

ミヤグディ・コーラ~ドルパタン~タンセン(ネパール)
 ネパールとは思えない森林、ジャルジャラ峠の素晴らしい展望!
雪男伝説。チベット人が暮らすドルパタン

キナウル(インド・ヒマチャルプラデッシュ州)
 かつての夏の首都シムラから。民族と文化がどんどん変化。
独特の木造建築群は見事!

スピティ(インド・ヒマチャルプラデッシュ州)
 マナリからロータン峠を越えると目前に広大なヒマラヤの展望が開ける。
マナリは、温泉と洒落たペンション、トラウトフィッシング!

花の谷 Valley of flowers(インド・ウッタラーカンド州)
 78月、花の谷の美しさは、言葉を超えている!
地球上で最も美しい花の谷!

ラダック・チャンタン高原(インド・ジャムー&カシミール州)
 ツォカル湖からツォモリリ湖へのトレッキング。広大なチベット高原の果てのトレック。温泉!

プクタル僧院(インド・ザンスカール)
 ザンスカール最奥、洞窟僧院。世界遺産級!

ヌブラ谷(インド・ラダック)
 カルドゥン・ラに立つと、カラコルムの山々が聳え立つ。温泉!
世界最高所のマウンテンバイク!

タルー族の村々(西ネパール)
 秋のダサイン、春のホーリーの祭の季節。独特の民族衣装と踊り、そして不思議な巨大壺の家。外国人はめったにいない!

ムスターグ・アタ(パミール高原・中国)
 玄奘三蔵や、マルコ・ポーロなどが通過した、歴史的な街道
遊牧民のキャンプ、湖!

ホームステイ
 現地の人の文化に触れ、お互いの友情をきずきましょう!


*ルクラなど山にある飛行場は天候によって飛ばない事があるため日程通りに行動する事が出来ない事もあるかもしれません。ご注意ください。(夏目)




Q2
ヒマラヤを歩いていて怖いと思った事はありますか? 


A:庄司康治 さん
トラにストーキングされた
帰りのフライトが飛ばない!(特にエベレスト方面)

*トラに遭遇したのは、個人トレッキングで入れるメイン地域の高地ではなかったと思います。


A:根本 秀嗣さん
はじめに、一般的には参考になる話ではないとお断りしておきます。
歩いていてではありませんが、スライドショーでもふれた「去年のマカルー山域の旅」、それも標高1000mほどの別々な2本の川で行なった川魚のサシアミ漁でのこと。こういうことを行う時、私達は通過地点ごとの地元の方との摩擦を避けるために、アクセスしやすい川岸を避けて、あえて人目の無いリスキーな場所へ行きます。それでも通り道からは意外と近い場所。つまり穴場探しをします。1回目の場所はより困難度・危険度の高い状況でした。吊橋から見下ろす激流へは、ドロで塗り固められ、頼りない下草と細い灌木が生えた高さ50mほどの急峻なもろい岩峰を乗り越し、瓦の大きさ位の瓦礫が不安定に堆積した急な斜面を下りてアクセス。瞬間的には斜度が60度を越える部分がでてきます。握れる物がほとんど無い状況で。川岸伝いに約20ヶ所、サシアミを仕掛けていく合間合間では、パワフルな瀬を渡る渡渉が連続。帰りは急な川岸のドロ壁を数十m上って現地の猟師が使う杣道を見出し、水平気味にブッシュ漕ぎして。ブッシュの中には、触れただけで酷い痒さが1週間つづく毒草モランゲ。この間の行動中約2時間はずっと元気のいいズッカ(ヤマビル)が足元でダンスを踊っています。「怖い体験」というよりは、「キツイ体験」でしょうね。この旅では食物の自活も行なったので、そんな体験もありました。


A :三田正明さん
今回のトークショーでもお話しましたが、ヘランブー・トレックのシバプリ国立公園内のトレイル上で強盗に会いました。刃物を出されて有り金とカメラを巻き上げられそうになりましたが、1000ルピーを渡してことなきをえました。あまり人の歩かないマイナーなトレイルでは、午後4時以降ひとりで歩かない方が良いです。



Q3
最初にヒマラヤに行くならここがいい。
というオススメの場所はありますか?


A :三田正明さん
どこでも良いと思いますが、なるべく6000m以上の高峰に近づくか標高4000m以上まで行くことをお勧めします。やはりその方が断然インパクトが増します。どこかひとつと言われたらやっぱりエベレスト街道。クンブー山脈のエネルギーの大きさはやはり凄まじい。人が多いのが難点ですが、ゴーキョー方面を選べばそれほどでもないです。


A:根本 秀嗣さん
人によってどんな対象に心惹かれるのかは違うのでしょうが、私ははじめてのヒマラヤで荒涼としたアッパームスタンを見ることになりました。ここは「中世的文化・技術」が「現代文明」と衝突または邂逅しているという状況の場所です。「ある峠をある期間内に通ったなら干ばつが村を襲う」など、いにしえの迷信をまだ人々は信じ続けていたり、崩れた石積みの壁が迷路をなす「城塞都市」。訪問した時はまだ王制が敷かれていて、ときどき王様は民衆の畑を直接見て回って自分の国の状況を把握しているのです。ほとんどの寒村にロッジや商店が無く、ひじょうにトラディショナルな風情漂う村長さんの家々に泊まりつないで旅しました。最近はこのムスタン方面へのアクセスが大分楽になったようです。それは最寄りの都市ポカラから車道がどんどん伸びてきているから。現代文明の波が津波のようにムスタンを覆ってしまおうとしている今日、今のうちに見ておいて欲しい場所かなとは思います。パーミット料は高額となりますが、できるだけアッパー(奥の)ムスタンまで頑張って行って欲しいです。


A:庄司康治 さん
その場所、目的に、最適な季節を選ぶことがいいと思います。



Q4
高山病対策を教えてください。
出発前や日頃から出来る事はありますか?

A:根本 秀嗣さん
高山病は意外とすぐ発症しますし、それを防ぐにはまず「頑張り過ぎないこと。」だと思っています。高いところに行けば、みんな多かれ少なかれ軽い高山病(頭痛・息切れ・思考力減退・寝付きが悪い)には掛かります。例えば私の経験。6,700mくらいの未踏峰を登ろうという時、BC(5,150m)から氷河の奥のC1(5,550m)まで行く所要時間ですが、1回目は6時間位かけたし、ちょっと苦しさがつきまとい思うように足が前に出せないので実際やむなくかかってしまうのですが、2回目に行くときは確か4時間位で、3回目には2時間台だったかと。じょじょに身体が高所順応していくわけです。マッキンリー登山の時のデポキャンプ(3,350m)BC(4,330m)HC(5,240m)へという時も各2回ずつ上がっていますが、1回目より2回目と、画期的に身体が楽になります。しかし初回の標高獲得時は身体が辛いです。標高3,000m以上になったら水分を意識的に身体に取り入れ、面倒ですが、おしっこに頻繁に行って下さい。また、寝る前と起きた時の脈拍を取って毎日メモしてみてください。異常時には早めに気付けるでしょう。旅の道連れがいたら自己を客観的に診断できるように「バディ・チェック」を意識的にしましょう。自己のステータスに敏感になることが大事です。


A:庄司康治 さん
症状を感じたら、我慢せず、即、標高を下げる!
日頃は、水泳や、ランなど濡れたマスクでのランは、効果絶大!


A :三田正明さん
月並みですが、標高3000mを超えたら寝る場所の高度を一日に300m以上あげないこと。異変を感じたらすぐに下ること。標高3000m以上ではダイアモックス(高山病の薬)を飲むこと。ダイアモックスはカトマンドゥかポカラの薬局へ行けば簡単に手に入ります。出発前や日頃から出来る事はないと思います。



Q5
日本の山と一番違うと感じたところはどこですか?

A :三田正明さん
とにかく山が巨大なこと。日本に限らず他の山脈とは桁がひとつ違う。


A:庄司康治 さん
目測のスケール!  村の人たちの優しさ!


A:根本 秀嗣さん
大陸の大自然は共通してスケール感があります!日本の山でオフトレイルに積極的に入り込むなら、国土地理院発行の1:25,000地形図の情報は欠かせないし、ミリ単位の詳細な読み込みがリアルに必要なときが多いですが、ヒマラヤでは1:100,000のトレッキングマップで読み取れるほど、地形の単位が大きくなってきます(ネパールヒマラヤなら官製1:50,000地形図はあります。ナビの難しいところはコレが活躍します。)。もうひとつ。会場で説明した「パハール(中間丘陵帯でおおよそ標高2,000m~4,000m)」では、「地形の単位」たとえば1本の尾根、は「日本アルプス1本」位の大きさがあると感じていますが、その高低のいたる場所で田畑が営まれ、村落ではイキイキとした地元住民のエコロジカルな暮らしを見ることができます。村と村、村と田畑をつなぐ網目のような生活道。たとえば日本の北アルプスにこの状況をおいてみたら、どんな景観となることでしょう?日本でもつい近代まで、山人の文化が息づいていたと聞きます。かの地では、「自然と調和して暮らす山人の暮らしぶり」と、リアルに直面できます。



Q6
ヒマラヤに持って行くギアについて教えてください。
日本の山と比べてどうでしょうか?

A :三田正明さん
一般的な宿を利用したトレッキングならば無雪期北アルプスの小屋泊装備で十分だと思います。


A:根本 秀嗣さん
旅の長さにもよるのでしょうが、基本的には、より丈夫なアイテムをチョイスしてほしいかなと思います。それと万が一のために修繕キットも持参してください。分厚い記事の破損箇所もロウ引きの太い糸で強引に縫ってしまえる「ハンドミシン」などは超お薦めです。「アロンアルファ」「ダクトテープ」も必須でしょう。日本でヒマラヤでの山旅を想定してイメトレするのなら、長期休暇で行く目的地は「どこかの山を登る」でなく、「長めの歩き+登りもあり」を夏冬問わず行なっておくといいでしょう。道具選びという課題も含めて、その体験のなかから自分にとってより良いフィードバックを得ていくことです。経験者としてお手伝いすることもできますので、そのようなトレーニングの「セッティングやステップアップ」についてはいつでもご用命ください(笑)。


A:庄司康治 さん
個人的に、こんぶ茶をオススメします!ドリンクにも、調味料にも便利!



Q7
トレッキングする時のルールはありますか?


A:庄司康治 さん
現地の慣習を守る。撮影は必ず許可をもらうこと。


A:根本 秀嗣さん
グレートヒマラヤトレイルには「行動規範」が設けられています。
'Fair Trade & Codes of Conduct'の下にある'for visitors...'をお読み下さい(英語です)。


A :三田正明さん
地元の人の失礼にあたることはしないことでしょうか。



Q8. 
ヒマラヤトレッキングのコストについて教えてください。

A :三田正明さん
ガイドもポーターも雇わなければ大変安いです。宿は一泊ひとり150~400円で済むし、食事も一食300円~600円ほど。自分は去年2週間ほどのトレッキングでパーミッションや移動費を含めて3万円も使いませんでした。北アルプスを自炊・テント泊で縦走するよりも安く済むのではないでしょうか。ガイドやポーターは宿のある一般ルートをトレッキングするならばまったく必要ないと自分は思います。


A:根本 秀嗣さん
前回の「マカルー&ソルクンブーの36日間の旅」での例をご説明します。
サービス料(人件費とエージェント利益)と実際の経費(トレッキング許可料、国立公園入園料、登山料、宿泊費、食費など)の合計:US$9,250-
エア代:¥130,000-
中間経由地韓国での飲み食い泊まり代:不明
ざっとみて日本円で¥1,100,000位かかっています。


*この質問はみなさん気になる所だと思います。ヒマラヤは場所によってパーミット(入山許可書)のルールが異なりますが、個人トレッキングで入れるアンナプルナ、ランタン、エベレストでガイドもポーターも雇わなければ、現地への交通費を含めても10万円前後からヒマラヤハイクを楽しむ事が出来ると思います。ガイド、ポーターを現地のしっかりとしたトレッキング会社を通じて手配した場合には20万円〜になると思います。




根本 秀嗣 プロフィール

1975 茨城県常陸大宮市 (合併前当時は那珂郡山方町) 生まれ
2001 仁寿峰クライミングトリップ韓国
2002 ナリ 6194m   ェストバットレスルート (アラスカ山脈/アメリカ)
2003 レイドゴロワーズ ルギス大会 リタイ
2007 チャコ 6704m 南東稜 (リーヒマール/ネパール
2007 チュルーェスト 6419m (チュルーヒマール/ネパール
2007 アンナプルナサーキットからアッパームスタンへの継続トレックネパール
2011 ーズ 31ッチ ビッグォールクライミング  (エルキャピタン/ヨセミテ/アメリカ
2013 マカルー地域からソルクンブー地域への継続トレックネパール
2013 イムジャツェ 6189m  (クンブーヒマール/ネパール
2014 カンチェンジュンガ地域グレートヒマラヤトレイルと6000m峰の登山を予

 本山岳ガイド協会認定ガイ
 産業ロープアクセス同業者協会 (IRATA) 認定 LEVEL1 テクニシャ
 MEDIC First Aid 認定 BasicPlus ファーストレスポンダー






三田正明 プロフィール
カメラマン/ライター。雑誌スペクテイターを始めアウトドア雑誌等で旅やハイキングに関する多くの記事を執筆。TRAIL CULTURAL WEBMAGAZINE TRAILSではエディターも勤める。2007年からこれまでにヒマラヤへは3回訪れている。





庄司康治 プロフィール
映像作家、早稲田大学探検部OB
アフガニスタン・ワハン回廊、プラマプトラ川屈曲点、ネパール・ドルポ、ブータン・スノーマントレック…などの徒歩の旅。
エベレスト、アンナプルナ、アマダブラム、ニルギリ、シシャパンマ…などへのアルパインクライミング。
ヒマラヤの村や文化の映像制作。



もしその他ご不明な点があれば御連絡ください。初心者の僕らですが、分かる範囲でお答えさせていただきます。ヒマラヤはけっして遠い山では無く、様々な山を歩く事によって、身近な山の魅力に目覚める事もあります。(夏目)





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